詩誌『権力の犬 第七号 戦争篇』

――ばらばらに引き裂かれた欲望だって? さあ、戦争だ!

◇ ◇ ◇

続きを読む 詩誌『権力の犬 第七号 戦争篇』

詩誌『早稲田詩人 Vol. 39』

――割れる卵と割れない卵、生まれたい赤子がいるのはどちら?

◇ ◇ ◇

続きを読む 詩誌『早稲田詩人 Vol. 39』

詩誌『buoy』創刊号

――わたしたちの生きる昨日の時代、その海にうかぶ箱について。

◇ ◇ ◇

続きを読む 詩誌『buoy』創刊号

采目つるぎ 詩誌『…poison berry』(Vol.0,1,2,3)

――かたってよ、つたわらぬことを。

◇ ◇ ◇

続きを読む 采目つるぎ 詩誌『…poison berry』(Vol.0,1,2,3)

詩誌『ファントム 3号』

《わたし》とほんの少しずれた幽霊としての《私》。
その亀裂からことばがあらわれる。

◇ ◇ ◇

本日は木曜日。急速に冬が近づきつつあることを肌寒さの中に感じる。
さて今週は詩誌特集ということで、為平澪(#0023 参照)主宰の詩誌『ファントム 3号』を。この詩誌はほぼ一年に一度発行されており、参加詩人は五名から十名前後、主に詩作を中心とし、エッセイや詩論などの小特集コーナーも有する。既刊を含めて装丁は黒色を基調に、都市、夜景、構造物、幾何学的文様などを主なモチーフとし、硬く冷えたなめらかな鉱石を思わせる。本号は参加者は十一名、十四作品、一論考を収め、五十六頁。

詩誌の名前についてだが、二〇一四年発行の創刊号を開いてみると、巻頭に次の一行が置かれている。

詩人は自分の中にもう一人の他人を飼っている
巻頭言、『ファントム』創刊号

ファントム “Phantom” で英英辞典を引いてみると、亡霊、幽霊の意味以外にも、「想像力のうちにしか存在しないもの」という意味が記されている。後者の意味に基づいた単語には Phantom Pain(幻肢痛)や  Phantom Pregnancy(想像妊娠)などがある。

詩誌の題名と巻頭言からは、身体の内側にまぼろしとしての他人を持つこと、そして「詩人は」と定義されていることから、その他人との不可能な対話を通じて詩作品がみちびきだされるイメージが得られる。

その他人とは自分の魂のなかにことばとして存在する肉親かもしれないし、教師かもしれないし、かつてそこにいたが、いまはいなくなっただれかかもしれない。その対話にともなう遅延、ずれ、二重性に「詩」という名前があたえられ、その由来を宣言するために「ファントム」という看板が掲げられている、と読める。

それでは本号を読んでみよう。創刊号から共通するメンバーには、為平のほかには麻生有里、浦世羊島(耀一朗)、奥主榮、一色真理などがいる。かれらの作品からいくつか抜き出してみよう。

不規則な人の流れを
かきわけるのはどうしても苦手だ
曲がり角ならいつも
上手に見分けられるのに
すれ違いざまに宙づりの幽霊が見えて
ふり返ったらキッと睨まれた
(どうしてわかったの)

システムが理解できない
いつだってそう
人の仕組みも回路もネットワークも
分解して知ろうとしても無駄なこと
導かれればいいのだろうか
ついて行けば崩れるのかもしれない
だけど結局は
似たような末路をたどるのなら
自動改札ぐらい通ってもいい

さっきから視野が狭いと思っていたら
(落としましたよ)
誰かが眼球をひとつ拾ってくれた
ありがとう
お礼がしたいので電車に乗りませんか
そんな出会い方だったら
遅刻しそうな子とぶつかるのでもなく
書店で同じ本を手に徒労とするのでもなく

自動改札をリレーのように通り抜けていく
にんげんは本当に
どうやって動いているのだろう
ふいにつきつけられた風の中で思う
促されて名前を書いてしまうぐらいなら
あたらしい文字を作って
読めない名を名乗ればいいと

麻生有里 「地上の電車」
第一、二、三、四連

昨年 詩集『ちょうどいい猫』を刊行した麻生有里の作品。地上の電車、という題名からは、地上を走るものではない、この世のものではない幽霊としての電車というものを想像する。第一連には幽霊が登場するが、これは電車の中で吊り革からぶらさがる生きている肉としての人間の姿なのだろう。電車は個別に分断されたわたしたち肉を乗せたままどこかへ走ってゆく。そうしたシステムの中に閉じこめられているのは、たくさんの線/路によって構成される電磁的ネットワークの上に拡散する膨大なテキストによってつくられる現代社会の中にいるわたしたちの姿でもあり、「にんげんは本当に/どうやって動いているのだろう」というふいに湧き出す疑問は、ことばは本当にどうやって意味をもって・・・・・・働いているのだろう、と読める。その問いには、まるで幽霊のように、と答えるしかない。

舞い上がる砂塵は光を遮り
地上を這う人々の心を煤けさせる
ここにいてはならぬと責めるように
吹き荒れる風は 体温を奪う
大地に刻まれた一千年一万年の呪い
汚されたばかりではない
影に覆われた土の上で 育つ草木も限られ
眩い白色光は伝説として語られるばかり

届かない青空に恋いこがれながら
人はよろめく足を踏みしめて
高くたかく築きあげる 祈りの尖塔を
積み重ねるたびにひび割れ崩落し
祈りを嘲笑うかのように
大海に投じられた一石の頼りない波紋
そんな祈りは誰に向けられたものなのか
存在が不確かな神々に対してか
信じることさえままならぬ我々自身に対してか

遠い昔 我々は自分たちの子孫に対し
言い逃れしようのない咎を負いこんだ
大地を陵辱し海へと毒をとめどなく流し
空を忌わしいもので充たしていった
道は汚泥に覆い尽くされ 喉をふさぐものに
祈りの言葉は損なわれていった

そうした中で自分たち自身の首を締め
豊穣の大地も 大漁のわだつみも
羽ばたくことのできる光に溢れた空も失った

生きるよすがとなる
波止場を忘れた そんな方舟

奥主榮 「陸の時代」
第一、二、三、四、五連

奥主榮(#0005 参照)の詩はまっすぐ実体のある読者の身体にぶつかってくる。だがそこには幻への望郷またはいかりがある、というのはわたしの個人的な読みに過ぎないかもしれない。「陸の時代」とは、わたしたちが汚してきた土に復讐される時代。奥主がその主題として見つめてきたのであろう罪悪感は、本邦に住まうすべての倫理的存在が持っているものである。その叱責の指先は、近代社会といった曖昧模糊としたものではなく、具体的で、実体のある、歴史を有する対象にはっきりと向けられている。だが奥主はこの詩においてそれを明記しない。それが昨今のソーシャルメディアに見られるような「反」を冠する扇動的営為——いわば善の凡庸さバナリティ・オブ・グッド——に加担してしまうこと、しかもがそれに加担してしまうことのおそろしさをよく知っているからである。そこに奥主の誠実さ、作家としての矜持がある。

真夜中にウイルス・スキャンを実行して
モニターを見ながら怯えている
ブロックされた危険な接続の中に
今日も同じ顔を見つけた

この顔はファミレスでおなじみの
おばちゃんたちの自慢話と劣等感の駆け引きの中で
泡立ったメロンソーダーの中の不純物
その隅で立ち上がる甲高い声はトロクサイと、高齢者を嗤う
ラインが止まない女子高生のIDとIPアドレス

ファミレスの町ぐるみ検診を何度も起動させると
真夜中に胃がキリキリと痛む
体内に悪いウイルスがいるせいだと 医者は語る

私の胸部も頭部も異常がないのに
悪いことを見つけたら罰したい寂しさが
液晶画面を青に変える

毎日をスキャンして安心したい
(私は安全だ、と
毎日を表示して教えてほしい
(ウイルスはいませんでした、と
毎日を毎日フルスキャンして 私は木端微塵に疲れていく
(駆除したいのか、駆除されたいのか

為平澪 「ウイルス・スキャン」
第一、二、三、四、五連

為平の詩は、ある対象をふたつにわかちながら、それらをひとつにまとめようとする動きに抵抗するため、そのふたつを同じ地点に重ねてゆくことから始まる。この詩では、ウィルスを駆除する《私》と駆除される《私》は、じつのところ同じものではないのか、という疑いからはじまるが、それは清潔に除菌された現代社会ネットワークに対する根本的疑義をわたしたちに突きつけてもいる。わたしたちがなにかを捨てるとき、わたしたちはなにをえているのか、そういう大きな問いがある。

システム、あるいは世間は単純化された世界を好む。わたしたちの社会はことばというウィルスを以前のように許容できなくなりつつある。「悪いことを見つけたら罰したい寂しさ」をだれしもが持ち、お互いに石を投げ付けあう二〇一八年の他罰的な相互監視社会のただ中にいるわたしたちの姿を為平は書いている。これもまた現代についての詩だということを思う。

ことばテキストだけで構成される社会とは、つまり亡霊が闊歩する場でもある。
詩は抵抗する、と為平はいっている。それは加速度をもった永続的なる運動でなければならず、そのために詩があり、詩誌が発行され、詩集がつくられるのだ。

詩誌『ファントム 3号』

詩誌情報
詩誌 ファントム
発行 為平 澪 「ファントム」編集室
号数 2018 3
価格 500