【番外編】BBC ラジオ番組 “Atmosfears”(詩人たちと樹海)

母語と父語がするどく対立するとき、ことばがうまれる。わからないものをわからないまま愛することができるだろうか。知らないものを知らないまま愛することができるだろうか?

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本日は火曜日。夏は遠くに去り、すでに秋がおとずれている。

さて本日は英国放送協会(BBC)のラジオ番組 “The Art of Now” のエピソードのひとつ “Atmosfears” を紹介したい。インターネット上で公開されている。

ラジオ番組 ウェブサイトリンク “The Art of Now”
https://www.bbc.co.uk/programmes/b0bh431g

案内人は、詩人・翻訳家のジョーダン・スミス(ちなみにわたしは彼を英文詩誌『東京ポエトリージャーナル Vol.4』 のカニエ・ナハ  (#0024 参照)  の英訳で知った)。日本からは四元康祐、新井高子、大崎清夏といった詩人らが参加している。すべて英語で、青木ヶ原いわゆる富士樹海を題材にした詩の番組。国営放送でについての番組が普通に放送されている英国を個人的にはうらやましく思うが——とりあえず、番組梗概を公式サイトから訳出してみよう。

※すべての訳出は《千日詩路》編集部によるものである。

Atmosfears

三人の日本詩人が、薄暗い歴史に縁取られた土地で、創作に挑戦する。

この世界は、わたしたちが与えることばによってつくられている。地球のあらゆる場所が、わたしたち自身が与えた思想や感情に染め上げられている。わたしたちは、そのいくつかの区域については、これを崇拝し、聖地化する身振りを取る一方、それ以外の区域については、これを畏れ、呪われた土地とみなして、避けている。

ある特定の土地がある。そこでは、ことばがつくる層があまりに地表近くまで浮上するため、その存在がだれの眼にもあきらかであることがある。そのことばの層は、触れることができ、生きており、実体をもっている。

それを “Atmosfear” と仮に呼びたい。

詩人たちのグループが選んだ行き先は、悲劇的な歴史を持つそうした土地のひとつだった。そこで絶え間なくゆれ動く負なるもの。詩人たちはそれを克服するため、その下に隠れる大地へと、自らを再び繋げようとこころみる。

案内人は詩人・翻訳家のジョーダン・スミス。そして四元康祐、新井高子、大崎清夏らが向かう先は、日本の青木ケ原だ。

日本語では「樹海」と呼ばれる場所、それはすなわち木によってつくられた海を意味する。樹海は、過去に多くの人々が訪れ、自殺したことで知られている。詩人たちは、一人一人その場所と向き合い、対話を始める。しかし優先されるべきことは、その土地の上に書き加えるべき新しいことば、新しい意味、新しい物語について論ずるということである。その後、詩人たちはそれぞれオリジナルの詩作品を作り、朗読を行うのだ。

また最後に詩人たちはグループの総意として判断を下す。つまり、その土地に置いて立ち去るべきものについて。 “Atmosfear” について。

※ Atmosfear は造語で、元の単語は “Atmosphere”(大気、空気)を意味する。Atmos の語源は蒸気、煙、sphere は球体で、天体を覆う球状のガスのこと。富士の樹海にあるような、特定の場所に、特定の事象が堆積することによってつくられた負の歴史と意味の層を指すものと思われる。

番組は音声のみで28分。自殺の名所として知られ、富士の樹海とも呼ばれる青木ケ原に、案内人と詩人三名が実際に足を運び、それぞれが感じたことをかたり、さらにその土地から着想した詩を捜索し、朗読を行うというもの。詩人のコメント、創作された作品も含め、すべて英語で実施される。

この “The Art of Now” は、グアンタナモ刑務所の元収監者のインタビューや、ムガベ政権下のジンバブエのミュージシャンの抵抗の様子など、硬派で骨太のドキュメンタリー番組を提供することを方針としているシリーズ。

富士樹海というと、米国 Youtuber ポール・ローガンの不謹慎な実況(またはNetflix で話題となった福島原発事故を題材とした「世界の現実旅行」など)、いわゆるダークツーリズムの一種などを想像する読者も多いのではないかと思うが “The Art of Now” の方針には対象に対する真摯さを感じる。

番組では富士樹海まで行くのだが、映像がなく音声だけのためか、実際にそこをおとずれる四名の様子には緊迫感があり、かなりの臨場感がある。わたしもこの番組で初めて知ったが、富士樹海はかつて富士山が噴火したとき、流れ出し、冷えて固まった溶岩の上に森ができたことによってつくられたものだということだ。

樹海は自殺の名所として知られるようになる前から、すでにそこにいた生き物をすべて焼き殺した溶岩を地盤としていることがかたられる。その層の上に、自殺の名所としての層、姥捨てといった日本独自の森にまつわる物語の層が重ねられ、詩人たちによってことばによる意味の層が創出、発見されていく。

単に自殺者が多いという事実によるものではなく、その土地そのものが有する神秘性、魔力がつくりあげられていく。個人的には、ジョーダン・スミスが、富士樹海はいわば裏東京として、その樹木の数は東京の人口、魂の数に呼応しているのではないかという想像力による指摘が印象的だった。

最後にそれぞれの詩人が樹海についての自作詩を朗読し、番組は締めくくられる。朗読そのものも、囁き声や、風の吹く音など、演出も細かく、聴く愉しさがある。朗読はすべての詩人が行うのだが、一番印象に残ったのは四元康祐の詩 “The Sea of Trees” (樹海)。最後にそれを一部引用し、本稿を締めくくりたい。

The Sea of Trees

The forest is not deep, but shallow
As it is pushed up
By the lava that killed all the lives
On the earth around
Just three hundred years ago

(その森は深さをもたず、むしろ浅かった
(その森の由来は
(すべての生き物を殺した溶岩によって
(あたりの土を埋め尽くしたこと
(ほんの三百年前のこと

The roots are above ground
Waving and jumping
Just like fish caught in a net
Dancing and gasping in the air
We’re like the images reflected on the thin clear glass
Placed upon the pitch dark blackness
Backing the forest mirror

(その根は地表むきだしになり
(うねうねとはねるようで
(網にとらえられた魚のすがた
(宙でもがき踊っている
(わたしたちは薄く透き通るガラスに映る姿
(黒き暗闇の上に貼り付けられた
(森という鏡の裏地の上に

四元康祐 “The Sea of Trees” 第一、二連
※日本語訳は《千日詩路》編集部による追記

(2018年9月11日)