書評イレギュラーズ:紅玉いづき『現代詩人探偵』

――盗まれたことばでかたりはじめる。

◇ ◇ ◇

続きを読む 書評イレギュラーズ:紅玉いづき『現代詩人探偵』

【番外編】葉山美玖『籠の鳥』

ひらかれるてのひらに、イエがもえてくずれてゆくよ。

◇ ◇ ◇

本日は金曜日。三連休前の最終日。冬の気配が日々近づいている。

さて、本日は以前書評でも取り上げた葉山美玖(#0010)の小説『籠の鳥』を番外編として取り上げる(一週間に一度程度、詩以外のものを取り上げてみたい)。本書は二〇一二年刊行なので、最近の彼女の詩作の勢いを思い出す時、少し古いものだという印象がある。本書は著者より頂いたもので、一七六頁。文字数から想像するに、おそらく原稿用紙にして三百枚をゆうに超える長編だと思われる。

さて本書は、詩ではなく小説である。自伝的小説、と評したらよいだろうか。もちろん小説に書かれていることがほんとうである必要などなく、そのように読む必要もないが、書き手が自らの人生の諸要素を題材にして書くときののっぴきならない切迫感がある。詩と違い、小説には登場人物があり、プロットがあり、ストーリーがある。それぞれを見てみよう。

公式な書籍内容紹介は次のようなものである。

嵯峨亜美は、19歳の時の失恋と、その際の家族こころない対応が原因で心身を病み、精神科病院への入院を経て、十数年にわたる長い引きこもり生活を送ることになる。そんな亜美が、ヤクザを親に持つアルコール依存症のまさき、ケースワーカーの木崎、そして臨床心理士志望の瑛一との不器用な恋愛を通して、徐々に大人になってゆく様を、繊細な筆致で描く。

冒頭を引用してみよう。

亜美は目を覚ました。
少し汗の匂いのする、何日も取り替えられていないシーツ。ふかふかの枕。何年の前に買った紺と青のベッドカバー。薄い染みのついた白い木のベッド。
部屋は、年代物だがそれなりに値の張った家具できちんと埋められている。大きめのブラウンの書斎机、お揃いのガラス窓のついたこげ茶色の本棚、同じく茶色の大ぶりの木製のライトスタンド。
窓からは、隣の柿の木がよく見える。ここ十二年間繰り返し繰り返し見てきた朝の風景だ。
亜美は背を伸ばすと瞬きをした。……今日の母親の作り置きの食事はなんだろうか。昨日の夜は自分は風呂に入っただろうか。確か、入ったはずだ。それから着替えをしただろうか。
広い作り付けのクローゼットには高価な外出着がたくさん詰まっているが、着替えといっても、亜美は四色のフリースしか普段着は持っていない。それらは三年前、渋る父親がデスクトップのPCを買ってくれてから、ネットでこっそり買うことを覚えたものだ。ユニクロの水色とピンクとアイボリーと黒のフリース。
それを母親に洗濯してもらって、毎日別の色に着替えるのが亜美の唯一の「お洒落」だった。
少し毛羽立ったアイボリーのフリースを、頭から被り階下に降りると、母親の甘ったるいそれでいてどことなく毒を含んだ声がした。
「亜美ちゃん、今日はクリニックの日よ。お父さんがタクシーを呼ぶわ。お急ぎなさい」
(ああ、またお金がかかる。体も心も弱いこの子のためにお金がかかる。私の贅沢着がもっと欲しいのに。私の老後だってどうなるの。この子のために、この子のために、早く、さっさと電車にでも飛び込んでくれないかしら)
亜美は、黙って焦げたトーストと苺ジャムを、ティーバッグで入れた紅茶でのどに押し込んだ。

「籠の鳥」(P4 – P5)

物語はこの亜美と、その周辺の人間との関係を中心に進んでゆく。冒頭には、主人公亜美の引きこもりの生活の様子、引きこもりとなってからの十二年という時間、そしてその理由の一端と思われる両親との関係性のすべてが凝縮されている。

この物語のはじまりを一読し、さまざまなことがわたしの頭を去来する。おそらく読者も思うのではないか。「ああ、わたしはこの風景を知っている」と思うのではないか。

それは葉山の表現が類型的だからではない。わたしたちの社会にあるなんらかの構造・・・・・・・によって、わたしたちのそれぞれの家庭に、亜美の家に見られるような類型的な問題があることをわたしたちは日本語・・・を通してよく知っているからだ。

二〇一八年、ライトノベルやアニメーションなどの大衆作品のうち、数多くの主人公たちが元引きこもりの経歴を持っている。わたしがよく見る動画配信サービス Netflix でも、何本もそうした原作に基づくアニメーション作品が人気作として掲げられている。それらに共通しているのは、かれらが「この現実」では生きていけないという生きづらさをかかえていること、そしてそれを克服するために自殺とおもわれる契機を通じて、「別の現実」への転生を果たし、なんらかの救済を得ていく物語であるということである。

読み物としての大衆商業作品では転生は可能だ。だがわたしたち生活者に転生などゆるされないし、そのようなものはない。それは読み物と普通は呼ばれる虚構の中でだけ成立するものだ。そうしたものを読むこともまた愉しいものだということをわたしたちは知っている一方、一部の詩や小説は、そうした虚構によってはあらわすことができないものを書こうとする。嘘をもちいてしか書くことができないほんとうのことを書こうとする、といってもいいかもしれない。葉山の小説は、そのような作品であると読める。それはいわば、転生をせずに転生をもとめる物語なのだ。

『籠の鳥』のストーリーはシンプルなもので、イエという仮象の牢獄(それは日本社会のあちこちに見られる学校、会社、それぞれの閉鎖的な村社会の縮図であるという示唆がある)に閉じ込められた主人公が、そこから出ようと決意し、それに成功するまでのこころの動きを描いたものだ。

舞台としては主人公の自宅に加えて、心療内科の病室、「メンタルヘルス」の掲示板やチャットルーム、精神科デイケア、家庭に問題をかかえた者たちがあつまるカウンセリング、教会などがあり、主に三人の男性との関係を中心に物語は進んでゆく。より具体的にはインターネットを通して知り合ったアルコール依存症の男性まさき、デイケアの職員の木崎、それから時計屋に勤める青年北条らである。

最初のふたりとは、親しくなる前に、父親や母親が介入してきてその関係は破綻してしまう。まさきとの破綻のきっかけとなった下りを引用してみよう。

母親の部屋は散らかり放題だった。しかし、今日は構ってはいられない」
「あのね、お母さん」
「気持ち悪いわね。何?」
「あのね。……私、やくざの人を好きになったの」
「あら、そう。じゃ、その人の部屋にお味噌汁でも作りに行ってらっしゃいな」
亜美は、改めてこのエイリアンのような母親をまじまじと見つめた。この人は、何を言っているのだろう。何が言いたいのだろう。
「やくざだよ。危ないよ……」
「でも、あなた、その人のこと好きなんでしょう」
亜美は、この母親の首を締めたい衝動に駆られつつ叫んだ。
「そうよ。好きよ。好きよ。大好きよ……まさきさんは、私のこと分かってくれる。私、まさきさんが、好き」
「何を言っているの。おやめなさい」
「いや。いやあ」
「やめて頂戴」
母親はいつの間にか泣いている。……この人は妖怪だ、と亜美は思った。
亜美はどうしたらいいのか分からなくなる。この人といるといつもそうだ。

(P28 – P29)

非常に印象的なやり取り。主人公とまさきとの関係についてそれを辞めようとしているのは実のところ母親ではなく、どちらかというと「やくざ」という噂を信じている主人公のほうだということが見て取れる(まさきがやくざかもしれないというのはチャットルームの中での噂話であることが前頁にてかたられていて、その確認はされていない)。このあと、主人公とまさきとの関係は疎遠になってゆく。

ここで主人公がたたかっている相手というのは実のところ実在する母親ではなく内在化した母親なのだろう。だから「エイリアン」や「妖怪」ということばが自分を傷つけることばのようにみえる。泣いているのが母親であり、それをつめたく観察している主人公が「どうしたらいいのか分からない」と内省するくだりも印象深い。

物語が大きく進展するのは、中盤にてこうした過干渉の母親との暴力沙汰があり、母親が入院という体裁で、舞台から退場してからだ。実際のところはおそらく世間体を気にした父がふたりを同じ住居に住まわせることを辞めさせたのだろうと思われるが。

その後、主人公は自助グループの作業場で働きはじめ、収入をえる。それによってイエから離れる契機を得て、やがては三番目の男、北条との初めての恋愛関係を築いてゆく……というストーリーなのだが、母親が退場して、ようやく主人公が自立を決心し、それを実現してゆくながれがとても示唆的だった。

その物語の下には、引きこもりが変わる契機があるとすれば、どうしても「母親」と呼ばれるなにかをとりのぞくことが必要となる、という著者の理解が透けてみえる。その母親の存在は、「優しさ」や「甘え」や「自己愛と気づかれない保護欲」などと翻訳されるだろう。そのいずれもわたしたちにとってきわめて身近な猛毒である。

そうした著者の示した理解は、上述した大衆作品において元引きこもりの主人公たちが、みずからの牢獄的存在と決別するためには、「異世界」という死後の世界へと旅立たなければならなかったこと、そしてそこでしか救済されなかったことを想起させる。

◇ ◇ ◇

われわれの生活において「転生」なるものは不可能かもしれないが、みずからを閉じ込める牢獄なるものの正体をつきとめることは可能である。それは本邦では「イエ」と呼ばれるなにかであり、葉山はそれを「籠」と書いている。そこから出ることは不可能ではないにしろ容易なことではない。それはみずからの肉体(ことば)こそがその牢獄をつくっているという困難な認識をえることでしかなしえないからだ。

本作において主人公はそれをなしとげたが、その後の彼女がどうなったのか。それはだれにもわからない。そこに希望をみるか否かは、読者にゆだねられるだろう。

(2018年10月5日)

葉山美玖『籠の鳥』書籍情報
籠の鳥
発売 文芸社
発行 2012年
著者 葉山美玖(はやま みく)
価格 900円+税

【番外編】草野原々『最後にして最初のアイドル』

さあ、アイドルをはじめよう。あなたはキラキラに輝いている!

◇ ◇ ◇

本日は金曜日。どうやら週末にかけて台風がやってくるらしい。今日は雨こそ降らなかったものの、かなり寒い一日だった。

さて本日は番外編として草野原々のSF小説『最後にして最初のアイドル』を取り上げる。なぜ詩と書評のサイト《千日詩路》がSF小説を取り上げるのか、と疑問に思う読者もいるだろう。端的にいえば、その理由とは、著者がわたしの知人のご子息だからである。ただ、実際に手にとってみるとおもしろく読んだので、本稿を書くことにした次第だ。

本作は二〇一六年の第四回ハヤカワSFコンテスト特別作受賞作。著者は一九九〇年生まれ、本作がデビュー作となり、わたしが入手したのはそれを電子書籍化したもの。特別賞以外にも第四十八回星雲賞短編部門(小説)など受賞歴多数。二〇一八年には本作を含めた作品集『最後にして最初のアイドル』を上梓。なお英訳も行われており “Last and First Idol” の題名にて発売されている。本作は五部構成で、長さとしては中編に属すると思われる。

早川書房の公式サイトによると、あらすじは以下のとおり。

「時はアイドル戦国時代。生後6か月でアイドルオタクになった古月みかは、高校のアイドル部で出会った友人とともに、宇宙一最高のアイドルになることを目指す」

おそらく《千日詩路》の読者はここで考え込むだろう。こうした表層ミームの下になにがかくされているのか、というところに興味が湧くと思う。アマゾンで販売されている電子書籍版のあらすじには、次のように加筆されている。

時はアイドル戦国時代。生後6か月でアイドルオタクになった古月みかは、高校のアイドル部で出会った新園眞織とともに宇宙一のアイドルになることを目指す。しかし非情な現実が彼女の望みを打ち砕くのだった。それから数年後、謎の巨大太陽フレアが発生。地球人類は滅亡の危機に陥る。地獄のような世界をサヴァイヴする彼女たちが目にした、〈アイドル〉の最終局面とは? 著者自らが「実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF」と名付ける、最終選考会に嵐を巻き起こしたSFコンテスト史上最大の問題作。

ここではさらに表層が追加されている。だがあらすじを読むことである程度の著者の戦略がみえてくる。それはいかに《ほんとうのこと》をかたらずにかたるか、という意志であり、それを徹底的に隠匿することによる魔術的効果をかくとくする目的があると推測され、その実現のためにさまざまな華麗な衣装(アイドル、オタク、人類滅亡……おそらくはSFも)が準備されている、ということである。際物のように見える作品の背後に、技巧派の道化・・としての著者の横顔がみえてくる、といえる。

これは一人の少女が最高のアイドルになるまでを描いた小説である。その主人公、古月みかは架空のキャラクターにすぎない。にもかかわらず、ここに書かれていることはすべて真実だ。宇宙とあなたの存在は、この小説の主人公、古月みかに端を発する〈アイドル〉により大きく左右されることとなる。あなたはこの小説を丹念に読まなければならない。古月みかを応援し、共感し、自己同一化して読まなければならない。この小説を最後まで読み、理解したならば、あなたはひとつの使命を帯びていることに気づくであろう。これは、他でもないあなたに向けられた文章だ。

「最後にして最初のアイドル」序文

著者の戦略をさらにここから読みとくことができる。「すべて真実」はすべて嘘と同じであることが詩の読者には了解されている。もちろん一般的な文芸小説の読者にとっても、そうしたかたりが読者を間違った方向に導く装置であることも了解されている。アイドルは〈アイドル〉というタグ付けがなされた名詞へと変換され、それを読むことには「自己同一化」が要請される。つまり、嘘を嘘としてあらかじめ受け止めた上で読むようにとの注意書きが掲示されている、と読める。

古月みかはアイドルが好きだった。アイドル戦国時代と呼ばれる現代においては、アイドル好きはそれほど珍しい存在ではない。雨後のたけのこのようにボンボンと生えてくるアイドルとともに、そのファンも限りなく増大していく。古月みかはそんなニワカとは一線を画していた。なんと、彼女は生後六ヶ月でアイドルオタクとなったのだ。当時、彼女は夜泣きが絶えない赤ん坊であった。昼も夜も四六時中高い声を発し、両親の睡眠を妨害しその脳を混乱させた。悩んだ親は、子どもが夢中になるものを見つけ、精神的安定を図ろうと考えた。人形、カスタネット、ゲーム機、プラモデル、独楽、凧、ロボット、エプロン、懐中電灯、スマホ、ダンボールで作った迷路、ハムスターなどを次々と投与したが、古月みかはどれに対しても興味を持った様子はなかった。
疲れ果てた両親は、夜、テレビをザッピングした。ブラウン管に大統領、営業マン、シェフ、医者、犬、吹奏楽団、自動車が次々と映る。そして、アイドルが。その途端、古月みかは泣き止んだ。眼を丸くして、ブラウン管の奥で踊るアイドルの顔を見つめた。表情筋が活動し、笑いへと到る。屈託のない、あどけない笑顔だ。まさに赤ん坊の笑顔の代表例とでもいえるほど純粋な笑顔を浮かべる。
これだ! 両親は確信した。これこそが夜泣きを防ぐ切り札だ。

第一部 冒頭

主人公「古月みか」がアイドルになりたいと考えるようになった経緯がかたられる。ここで一番興味深いことは、それが幼児の夜泣きを防ぐ方法の一環だったということが、いちばんはじめの出来事としてかたられていることだ。つまりアイドルという存在は幼児の気をそらすためのものにすぎず、別のいい方をすればなんでもよかった・・・・・・・・のである。別のものといつでも置換可能なものに情熱をかたむけることの逆説的な価値がかたられている、とも読める。別のものと置換可能なものが草野の作品ではもっとも価値あるものとして祭壇(あるいはステージ)に設置される、という構図を読むことができる。

物語は主人公が高校生になった時から始まる。彼女は「アイドル部」という部活に入り、アイドルになるための活動を本格的に始めるのだが、そこで新園眞織という友人をえる。

「……あたし、アイドルになるのが夢なの……。それで、新園さんと自分を比較しちゃって。ちょっと落ち込んで……」
沈黙に慌てて、つい本心をさらけ出してしまった。
「なんだ、そんなことなら、わたしがプロデュースしてあげるわ」
予想外のところに会話が転がっていく。
「でも、あたし、ダンスも全然覚えられないから……」
「ちーがーうー、アイドルに求められているのは完璧なダンスでも歌でもないの。下手でもいいから努力する姿なのよ、観客はそれに自分を重ね合わせて共感するの。そういう面では、わたしよりあなたのほうがずっとアイドル向きでしょ」
「そう……なのかな」
内面では、アイドル向きと言われてすごく嬉しかった。
「そうよ! あとは口調と髪型をアイドル向きにすることね。ちょっと考えさせて」
こうして、新園眞織による古月みかのプロデュースが始まった。着目したのは、まず髪型であった。これまでのロングの髪型をツインテールに変更し、一気にキュートな印象を増すことに成功した。病弱な印象を与える白い肌がそれを助ける。次は、一人称である。これまでの『あたし』を『ミカ』にすることにより、幼いキャラを確立させる。ここでも、背の低さと相まって相乗効果が生まれる。
古月みかのキャラをバネに、P-VALUEの雰囲気は変わっていった。アイドルらしい人物が中心になることにより、自分たちが所属しているのはアイドルグループだという自覚が出てきたのだ。古月みかと新園眞織がはじめた早朝練習にも全員参加するようになり、地域のアイドル大会にも出場できた。
その後、二人はことあるごとに会い、親交を深めていき、ついには内外から親友として公認されるに到った。古月みかは幸福な高校時代を過ごした。キラキラした三年間だった。

第一部

ここでかたられているのはいわば道化が道化として完成するための技巧と読める。それは「プロデュース」と呼ばれているが、書くことと翻訳してもさほど違和感はない。ここで書かれているのは夢や情熱そのものではなくその空虚(非存在)を埋めるための外堀としての衣装である。著者はどこまでも冷めたまなざしでアイドルをみていて、「下手でもいいから努力する姿」を意図的にみせることは技術にほかならないという理解がかたられている。それはわざと下手を演じること、愚かさ・・・を表出することだ。それは二〇一八年に生きるわたしたちがよく知っているものである。これは現代についての小説なのだということがわかる。

さて、物語は主人公の高校卒業後も描いていく。ほんもののアイドルになるために事務所に所属するのだが……その夢の実現はきわめて困難なのだった。事務所は破産し、経済的に困窮し、つまり詩人や売れない小説家のような生活を主人公は送ることになる。以下、主人公の妹古月みやが姉にアイドルをやめさせようとするくだり――アイドルに「詩」や「小説」をいれても問題なく読めるだろう。

「なんでここに? その言葉、そっくりあなたにお返しします! わたくしは、あなたを正気に戻すためにやってきたのです。あなたは悪魔に支配されています。アイドルという悪魔に! アイドル! ああ、なんて忌まわしい言葉でしょう。アイドルによって家庭が崩壊し、いままさにアイドルによって姉が破滅している現状! さあ、お姉さま、いまからでも遅くありません。事務所が破産したのは天啓であったのです。アイドルなど辞めて、まともな世界に戻りましょう!」

古月みやは情熱的に語った。彼女はアイドルのせいで離婚が起こったのだと思い、この世からアイドルを消滅させることを心に誓っていた。姉がアイドルになったとどこからか聞き及び、いてもたってもいられなくなりやってきたのだ。

第一部

この後、妹に「現実を見ろ」と罵倒された主人公は、自分の将来に絶望し、飛び降り自殺をしてしまう。だが、この時すでに医学部の学生となっていた親友の新園は、その死を受け入れることができず、将来彼女を蘇らせることを誓い、その遺体をひそかに確保、その脳を遺族から許可を取ることなく勝手に摘出して冷凍保存する。彼女はこの時点ですでに悲しみで発狂している。

新園眞織はカミソリ、メス、電動ドリル、電動ノコギリを用意する。はじめに、カミソリを手にする。
「ごめん、みかちゃん」
新園眞織はそうつぶやき、古月みかの髪をカミソリで剃っていく。チャームポイントであるツインテールは無残にも切れていく。あらわになった頭部の皮膚は、もうすでに黒ずんでいる。古月みかの白く綺麗な皮膚は、酸欠により死んでいった細胞のカスにより、にぶい茶色に変わっていた。
続いて新園眞織が取り出したのは、メスである。メスを使い、頭部の薄い皮膚を切り裂いていく。血液循環はもはや止まったため、血は出ない。桃の皮をむくように、器用な手つきではいでいく。頭部を覆う筋肉に茶色の血管が絡みついている。メスで額から後頭部にかけての筋肉を切り裂き、ピンセットでつまみ、横に開く。どす黒い赤茶色に染まった筋肉繊維の向こう側から、白い頭蓋骨が見えてくる。まるで、生前のみかちゃんの皮膚みたい、新園眞織はそう思った。筋肉はこめかみにいたるまで横に広げられた。その過程で、邪魔になった耳は切除された。

第一部

アイドルが置換可能な、書かれうるプロデュース技巧(作為)にすぎないことはすでに一部において繰り返しかたられてきたが、ここでとうとうそれは単なる肉の塊になり、解体されて捨てられるモノになる。重要なのは考えることができる脳(ことば)だけでありその他のものは不要なものとして、中身を失ったことがわからないように化粧をほどこされた上で火葬されるのだった。

そして第一部は主人公の葬儀で幕を閉じる。第二部からはいよいよ巨大な太陽フレアによる地球滅亡の序曲がはじまり、脳だけの存在となって強制的に蘇えることになった肉塊たる主人公がこの世の理をかきかえる救済の物語へとつながってゆく……のだが、それは著者が注意深く準備した読み物としての舞台装置なのだろうという印象をもった。最初から存在していないものを救済することはできないからである。

◇ ◇ ◇

『最後にして最初のアイドル』は二〇一八年に詩、またはそれに準ずるテキストを書くものにとっても多くの学びがある小説であり、題材の取捨選択も含め、細心の注意を払って組みたてられた作品であるという印象をもっている(そこにはソーシャルメディア向けの戦略的スタンスとその実行も含まれるだろう)。

個人的な印象だが、著者は長期的にはSFというジャンル、あるいは世間が準備する既存の枠組みの内側にとどまることはできなくなるのではないかと感じた。道化はほんらいそこに王(権威)がなければ成立せず、だれもかれもが道化と化した現代においては、道化であり続けることはだれにもできないとはいえないにしろ、きわめて困難な道筋だろう。ただ、そうしたわたしの読みを裏切る(かもしれない)力を感じる作家であることは間違いないように思える。血はあらそえない、ということなのかもしれない。

お願いだよ、ご老公、嘘のつき方の先生を附けておくれよ
あんたの道化は、よろこんでそいつから嘘を習わせてもらうからさ

シェイクスピア 『リア王』 第一幕第四場

(2018年9月28日)

 

草野原々『最後にして最初のアイドル』書籍情報(電子書籍)
最後にして最初のアイドル【短編版】
発売 早川書房
発行 2016年
著者 草野原々(くさの げんげん)
価格 130円