北川清仁『冴』

さて、本日は金曜日。《千日詩路》開設から一月が経過した日でもある。ウェブサイト運営編集部としては、ページビューはまだまだ望ましい水準に到達していないと考えており、詩がいかに一般社会から興味を持たれていないかという事実を身体で理解している状況下で、ウェブサイトの存続可能性について悩みがあったりしながらも、じつは正直にいえば、それほど悲観的でもない。適切な場でかたることさえできれば、読者におもしろいものはつたわる・・・・・・・・・・・・・・・からである。

だが本ウェブサイトははっきりいえば認知度が低く、そもそも知られてさえいないようだ。このため編集部としては、読者の皆さんがおもしろいと思った詩集や記事を知人などに広めてくれると嬉しく思う。

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本日わたしたちが向き合う詩集は北川清仁の『冴』。著者は一九四六年奈良県生まれ、同時期に発売された詩集に『ぼくと冴 : ものがたり詩集』がある。本書は「冴」という人物に関する作品を中心に編まれた詩集。まずはこの冴がだれか、というところに読者の興味もあると思う。作品からは、冴は女性であるらしきことがその言葉遣いからうかがえる。たとえば次のような詩。

ほの暗い
夢の岸辺には
白い花が咲きこぼれています

冴は よくしゃがんで
じっとその花を見ています
夢の中で
花となった冴は
囁きます

わたしは ふるえる花
虹色のかなしみよ

夢の中の
丘の上の塔に
閉じ込められた
冴は
いいます

「夢のなかの冴」 第一、二、三、四、五連

この詩が冒頭におかれ、冴が実在する存在ではないことが暗示される。夢の中にだけ登場する女、記憶の中の女、不可能な塔に住む女……と頭の中でメモを取りながら次の頁をめくると、短い詩「揺れる」があり、「虹色のひなげしの花は/春の死者たちの/通り道にあるらしい」とある。死者たちの国への途上にいる女、と思い直し、読み進める。

ときどき冴は ふいに
この世のあるすべてによそよそしくなる

そんなとき
冴は一種の焦がれのようなものに取りつかれている
冴の内部の何かが
どこかしきりに帰りたがるのだ

そこはいつか 冴とぼくが気づかぬまま車窓を通りすぎていった
風景のようである

あるいは
それは この世でけっしてたどり着けない
冴の 氷のような陽の光のふりそそぐ
ほんとうの故郷の街のようでもある

「映し世」 第一、二、三、四連

ここではより踏み込んで、望郷の思いに冴という名前があたえられていることがうかがえる。それはけして手に入らないもの、あるいはけっしてたどり着けないものに与えられる名だ。喪失の痛みは遠くなり、あきらめにも似たしずかなかなしみが満ちる。

冴が冬の寒さは苦手なのは
生まれたのが八月末ということでもないだろうが
母は冴のせいでさぞかし暑い夏をすごしたことだろう

冴は生まれ育ったのが雪の降らない地方からか
寒さはさておき
雪野を見るのが好きでたまらない
この冬も雪を見に山陰に連れて行かされた
あいにく雨にたたられたが

冴は雨の街を手もちぶさたに歩きながら
思い出したようにいう

消えるより
ただ埋もれてゆくのがいいのね

「雪野」 第一、二、三、四連

より具体的な月と出身地が登場する。だがモデルが実在する/したようには思えない。ぼんやりと女性の姿が浮かび上がってくるが、そこには肉と骨が欠けているように感じられる。雪は降るが、そこにあるはずの体を通り過ぎているような、そんな透明感がある。非なる風景、ということばが頭に浮かぶ。書かれている、あるいは書こうとされているもののはかなさに、どこか見覚えがあるような気がする。

三原峠を超えて久美浜に行った
鬱蒼とした隘路を過ぎると
目の前に湖のような湾が開けた
冴はきゅうにはしゃいでいう
ここにわたしはつぎにうまれてくるのよ
そのときあなたは はるばるここにきて
わたしをみつけだすのよ ひょいと

冴と旅をすると ぼくは
今の冴はいわば幻のようなもので
冴とはほんとうはまだ出会っていないのであって
来世に たとえば旅先のこのような真昼の街で
出会うはずであるかもしれないとふと思うことがある

「久美浜」第一、二連

久美浜というのは市町村合併で十数年前に消失した市の名前だという。 だから冴が「ここにわたしはつぎにうまれてくるのよ」というとき、彼女は存在しない中に生まれてくる、と読める。そして詩は存在しないものを見つけ出すのが仕事だという北川の理路がみえてくる――そしてそれは「出会うはずであるかもしれない」という小さな願いだけをたずさえた、遠く不可能な旅路であるほかない。

わたしは雪の下の埋もれ火
魂の輪唱よ

「声だけ」 全文

(2018年8月31日)

北川清仁『冴』書籍情報

出版 モノクローム・プロジェクト
発売 らんか社
発行 2018
著者 北川 清仁(きたがわ きよひと)
価格 1400円+税