草野理恵子『パリンプセスト』

筆を人差し指と親指でつまむように持ち
描いていた
彼はいない
「彼はもういない」
私の声帯は寂しい音色を奏で
それが終わるとできるだけ曖昧に濁した

膝の上に重ねた両手をじっと見ていた
そしていつの間にか失ってしまった味の葉を食んだ
彼は植物の絵を描いていた
きっと人にはわからない混乱が彼を襲ったのだろう
森の中に膨大な薔薇の絵を積み上げ火を放った
時が緋のように満ちていた

パリンプセスト

この世界の結び目はどこにあるのか。その結び目が解かれるとき、何が起こるのか。わたしたちがけして得ることのできない《答》はどこにあるのか。わたしたちはどのようにわたしたちみずからを見いだすことができるのか。草野の詩作品はさまざまな問いを重ねたかたちで包含し、きわめて奇怪な一冊の書物を構成している。

森の中から彼を発見することはできなかった
霧が深い
私は手探りで靴の結び目をほどき
間違ったかのように結びなおした

(同上)

詩集『パリンプセスト』、その耳慣れない題名 “Palimpsest” は「もとの字句を消した上に字句を記した羊皮紙」を意味する単語であり、ふたたび(palin)+ けずられたもの(psestos)を語源とする。かつて書き記すものが貴重品であった時代、手間ひまをかけ生皮から作られた羊皮紙は、一度文字が書かれ書籍になった後も、再利用されることがあった。その場合、素材の表面から文字を物理的に削り落とすか、または薬液によってインクの除去が行われたという。「消された文字」の痕跡が残った羊皮紙、それがパリンプセストである。

抽斗に入れてある
あの時の小石
残酷に瞳の奥に
舟は緑の輪郭だけになった
眼差しが揺らぎ
私を見つめなくなった

―胎児
言うべきではない
川へ…など
真冬から真夏への息を引き抜き
羽音の氾濫を聞く
澱をさぐってゆく指の動きを
黙って見ていた

黒い舟

かたるべきではない禁忌を胎児がかたっている。わたしたちはわたしたちの口をして自由にかたらせることなどできない。言い方をかえれば、自由にかたることはできない。それは外在的な社会的要因(社会的地位、経済力の有無、「空気」)のためではなく、わたしたちが内面化された鎖にがんじがらめに拘束されており、かつそのことに無自覚だからである。禁忌をかたる口は不可能なもの、たとえば、生まれなかったものたちにたよらねばならない。そこには《ほんらいかたられるべきだったが、けしてかたられなかった》ことばたち、人生の表層から削り落とされ忘れられてしまったことばたちが含まれるだろう。

手紙を書かなければならない
鳥たちが天空から見ている
手紙は書き終えることが出来ない
ペンを置いたその時に
顔を鳥に覆われた猿は
私のところに降りてくるだろう
そして私の青い頭巾をもぎ取る
私は私の顔を見ることになる それが怖い

次は鳥が私の顔を覆ってくれるかもしれない
だが天空の鳥に手を振ってはならない
それは鳥ではない 幻だ
ひとつひとつの鳥の
ひとつひとつの燠火の

焼かれる街

手紙は、いや《ほんとうのこと》を書いたことばは秘匿せねばならない。それがかたられた時、街は焼かれ、ひとは自分の隠された顔をみてしまう。「青い頭巾」に隠された顔をみてしまう。それはいかなる顔か。

上田秋成の『雨月物語』の一編、「青頭巾」では、愛する稚児を喪った悲しみから鬼道に堕ちた僧に、高僧たる快庵禅師は次のように説く。「江月照らし松風吹く、永夜清宵何の所為ぞ——この句の真意が分かる時、おまえは本来の仏心を取り戻せるだろう」と。そして藍色の頭巾を鬼となった僧に預け、その場を立ち去る。鬼となった僧はその教えを忠実に守り、青頭巾をかぶったまま屍となる。かれはその真意を理解したのか? それは物語の上では語られない。ふたたび戻ってきた高僧は、その二句をいつまでもつぶやき続ける亡者を杖で打ち据え、成仏させるだけだ。

意味などない。風は吹く。夜はつづく。稚児も死ぬ。そこに意味はない。あるいは、この世界に《わたし》がいること、そこに苦しみがあること、そこに悲しみがあること、世界がその世界の姿をとったこと、そこにいっさい、なんの意味もない。だから鳥は幻のまま空でもえている。草野の詩はその隠された光景にかたちを与える。

大木が世界を分断していた

君は赤ん坊を生き返らせようとしていたのかい?
僕は向こうを向いた
下半身を露出したまま木の洞を見ていた
樹皮はめくれ君の顔を思い出した

赤ん坊は水を欲しがっていたのか
それは君のただの思い込みではないのかと
言いたかったがやめた
もうすでに赤ん坊は死んでいる
水をあげてもあげなくても同じだ
僕と君の間の大木はどんどん大きくなる
そして君も赤ん坊もどんどん遠くなる
僕がままごとのような君の家に辿り着くには
きっと無限と言える時間が必要になる

大木

羊皮紙の手触りは、わたしたちを愛してくれた祖父母の手を思い出させる。その手は荒れていて、がさがさしていて、ところどころひび割れている。それは剝がれかけた樹皮にも似ている。わたしたちのこころに書き込まれたことばは、日々削り落とされ、そこに新しいことばが上書きされる。痕跡は残っているはずだが、すぐに忘れられる。それは成長するために、古い肉体を殺さねばならないからだ。赤ん坊は生まれ、老人は死ぬ。場合によっては赤ん坊も死に、老人が生きる。

二〇一八年、わたしたちの生きる列島はさまざな自然災害に襲われ、年齢や性別を問わず、たくさんの人命が奪われている。わたしたちの世界は《こうであってほしかったが、そうはならなかった》代替的オルタネイトな可能性で満ち、そのふたつの絶望的な隔たりのはざまに宙吊りにされている。ことばもまた損ねられ、わたしたちは自分たちの人生から遠ざけられ、大切な物事を日々うしなっている。

水を欲しがっていた赤ん坊に、《いま》水をあげることができるのか。

問いはそこに収斂される。あるいは、かつて削り落とされた命に、ことばに、《いま》意味を見いだすことができるのか、問いはそこに重ねられる。重ね合わされたぎりぎりの問いを、わたしたちは、草野の詩とともに生きるほかない。

(2018年8月1日)

草野理恵子『パリンプセスト』

書籍情報
パリンプセスト
出版社 土曜美術社出版販売
発行 2014年
著者 草野理恵子
価格 2000円+税