書評イレギュラーズ:紅玉いづき『現代詩人探偵』

――盗まれたことばでかたりはじめる。

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

さて本日は金曜日。今日は番外編(書評イレギュラーズ)として紅玉いづきの小説『現代詩人探偵』を取り上げる。《千日詩路》は現代の詩集を対象とする書評サイトだが、詩に関連する書籍もたまに取り上げている。今回のきっかけは家人がやっているツイッターで、本書が紹介されていたツイートのことを耳に挟んだことだった。

著者の紅玉いづきは一九八四年石川県生まれ。二〇〇六年『ミミズクと夜の王』にて第十三回電撃小説大賞「大賞」受賞。近著に二〇一八年発行の『悪魔の孤独と水銀糖の少女』など。本作は唯一の長編推理小説ということで二〇一六年に発行。わたしは二〇一八年に文庫化されたものを入手している。序章、終章に挟まれた四章構成で、三二〇頁。ユニークな点としては作中に登場人物による詩六編を含む。

詩と異なり、小説には登場人物があり、ストーリーがある。
本書からその内容紹介を引用してみよう。

「とある地方都市でSNSコミュニティ、「現代詩人卵の会」のオフ会が開かれた。九人の参加者は別れ際に、これからも創作を続け、十年後に再会する約束を交わした。しかし当日集まったのは五人で、残りが自殺などの不審死を遂げていた。なぜ彼らは死ななければならなかったのか。細々と創作を続けながらも、詩を書いて生きていくことに疑問を抱き始めていた僕は、彼らの死にまつわる事情を探り始めるが……。生きることと詩作の両立に悩む孤独な探偵が、創作に取り憑かれた人々の生きた軌跡を辿り、見た光景とは?

「現代詩人探偵」大扉 あらすじ

最初に書いてしまうと、本作のかくされた主題は盗作であり、それもきわめて具体的な、現実に発生したとある事件に基づいている。それは二〇一〇年、秋田県の十四歳の少女が、インターネットに投稿されていた詩から繰り返し盗作をし、それを複数のコンテストへ応募、それが露呈するまでの間に複数の賞を実際に獲ってしまっていたという事件だと推測される。細かく書いてしまうとネタバレスポイラーになるため、ひとまずそれは留保し、まずは印象に残る部分から引用してみよう。

まず冒頭から。

詩を書きたくて詩人になった人間なんていない。

僕はずっとそう思っている。コンビニバイトの夜勤を終えて、気の滅入るような朝の雨に向こう脛を打たれながら。時間通りに来たためしのないバスを待つ慰みに、詩について思っている。
詩を書きたくて詩人になった人間なんていない、というのが僕の持論だった。何かを語りたい人間は多いだろう。何かを書き記したい人間も、もしかしたらそれなりの数いるかもしれない。けど、その中で詩を選ぶということは。数多の表現の中で、詩を、よりにもよって詩を選ぶということは。
詩しかなかった、ということなのだろう。特別なことではなく、詩以外があるならばそうしていた。他のすべてが出来なかったから、最後に、あるいは早々に詩にたどりついたのだ。袋小路に入り込むように。諦めて。挫折して。絶望して。そんな場所からしか生まれないのだとしたら、詩は肯定ではなく否定の文学だ。

序章(P12)

「詩を、よりにもよって詩を」書いたり読んでいたりする道を選んで/ばされてしまった《千日詩路》の読者の胸に突きささるのではないかと思える書き出し。

主人公、語り手である「僕」は、鬱屈とした生活を送りながら詩を書きつづけている。作中の描写からは、彼がコンビニエンスストアでアルバイトを続けながらも、詩の雑誌に投稿をつづけていること、そしてその成果が上がっていないらしきことが示唆されている。書き手の詩壇に対する思いは次のように描写される。

枕元にあった現代詩の雑誌をとりあげて、あてずっぽうにページを開く。現代詩の雑誌のはずなのに、開くページのほとんどは随筆と詩論だった。そしてその中でも、結構な割合が最近死んだ詩人への追悼だった。
最近の詩壇には、いや、もうずっと長い間、詩壇には先人の死よりもセンセーショナルなことがない。
つまらない雑誌だと思う。そして何よりつまらないのが。
最後の読者投稿欄、選外にも名前が挙がらなかった自分と自分の詩のことだった。名前は、何度見てもない。ないものはこれ以上、探すことは出来ない。ああ、言い訳をするのにも疲れたと怠惰が頭をもたげる。

序章(P15)

具体的な固有名詞が入りそうな雑誌の紹介。確かに、自分の作品を受け入れない雑誌があるとしたら、それは「つまらない」というほかなく、ひとこと文句もいいたくなるものだ。これもまた《千日詩路》の読者にするどく突き刺さる文章なのではないかと思う。

一方、気になる部分としては、現代詩の雑誌には「先人の死よりもセンセーショナルなことがない」と、主人公の口を通して著者がかたらせているところだろうか。著者がこの小説を書いたきっかけのひとつが、前述の女子中学生による盗作事件であることは間違いないことのように思える。それはセンセーショナルな事件であり、それが著者によって意図的に書かれていないこと、まるでなかったことのように物語が進められていることがなにを意味するのか考えてみる。

それは次のように解説できるだろうか。盗作という事件がセンセーショナルな事件として取り上げられていないことこそがセンセーショナルなことなのではないか、という著者の(公にはされていない)批判的見解がそこにある、と。これについては、後ほどもう少し考えてみよう。

この後、主人公は十年前にした約束を思い出し、逡巡した後に、かつて仲間だった詩人たちがいまはどうなったのか、いまも生きて書いているのか、それを知りたいがために、オフ会へと参加することになる。その時の描写を引用してみよう。

死んだ人間には詩が書けない。
けど、生ける詩人なんて、現代社会に残っているのだろうか。
文学史に名を連ねるような詩人はもう、死者の中にしかいないのではないだろうか。
じゃあ、死ねば詩人になれるのか?
それは絶望的な考え方だと思ったし、逃げ場がなく、どこにも行き場がないと思った。行き場がないし、生き場所がない。一方で現実とはその程度のものなのだろうとも思った。現実なんて、自分なんて、所詮その程度のもの。
けれど、たとえばあの日に集まった、他の『現代詩人卵の会』のメンバーは、一体どうなっているだろう?
詩人になっているのだろうか。
詩を書いて生きていっているのだろうか。
唐突にそれを知りたいと思った。自分には知る資格もない。会いに行ったところで、語る言葉を持ち合わせているわけでもない。だけど。
魂。詩魂。
携帯を開いたら、日付は五月の末をさしている。来週のバイトのシフトが今日出て、丁度金曜の夜は空いていることを確認する。
来週の金曜日は、六月の六日だった。
十年の月日が経って。
生きている詩人は、まだ存在しているのだろうか。

序章(P27)

このすぐ後から第一章が始まる。主人公は実際に「現代詩人卵の会」のメンバーと再会してゆくのだが、その半分がなんらかの形で命を落としている。かれはそれぞれの自殺したメンバーについて、その死因をさぐってゆくことになる。その過程では、経済的対価のない作品(社会から価値を認められない作品)を書くことにまつわるさまざまな人生模様がかたられてゆき、主人公は書くことの意味とはなにかという答を得ようとする、とこの小説の物語を要約できるだろう。

それぞれの章はそれぞれ自殺または他殺された詩人に対応し、主人公はその遺族を訪ね、なにがあったのか暴いていく探偵的営為に身を染めてゆく。そうしたミステリ小説としての側面も興味深いが、やはり読みどころはそれぞれの詩人の生の圧倒的なくるしさだろう。作品を完成させるために農薬を飲んで苦痛ある死をえらぶ詩人、人生に意味を創出するためにだけ自殺する詩人……そして遺されたひとびとのかなしみなどである。そうしたそれぞれの逸話を読む愉しさについては実際に読んでもらうとして、本稿ではそれぞれの登場人物が書き遺した詩をみてみよう。

主人公が書いた詩。「探偵」

夜明け前に見つかった死体は、
くすんだ燈の落ち葉の中で、
苦悶の表情を浮かべている。
ここにあたらしき死があり、
同時に古き命題が示された。

生きている異常を捨てて、
死んでいる永遠に組み込まれる、
その因果について。
探さねばならない犯人がいる。
暴かねばならない死因がある。
そして、定めなければならない動機がある。
死に至る、病などはないこの世界で。

隠されたはずの凶器、
崩されない不在証明、
喪失され、耕弱した心神において、
無名の死に、問われる罪はない。

死んでしまえばそれまでだから。
生きているうちに、見つけてみせる。
真実などはなく、
犯人などはいなくとも、
僕を殺した、僕の生きた意味を。

「探偵」全文
(登場人物「蒼ざめた馬」による)

作中の詩はすべて作者によるオリジナルの詩作ということだ。「生きている異常を捨てて、/死んでいる永遠に組み込まれる、」などの行の表現がひかる。

最終連、「僕を殺した、僕の生きた意味を」は謎めいた行である。次のように分解できるだろうか。

僕を殺した
僕を殺した意味
僕の生きた意味が僕を殺した

そしてすでに殺されているはずの「僕」がその意味を「生きているうちに、見つけてみせる」という矛盾。それがそのまま書かれている。これはとてもおもしろい詩だ。

鍵となるのは「僕」が複数いると考えられることだろうか……と書くと単なる叙述トリックの解説になってしまうのでこれくらいにしておく。現代詩ではしばしば見られることだが、意味が壊れていること、文章が文章として成立していないこと、あるいは、伝えようとしていることがまるで伝えられないことは魅力になりうる。だから最後の行はこのまま、いっさい解説することなく読むのがおもしろいのだと強調し、ここに置いておきたい。

もうひとつ紹介してみよう。

広げた模造紙の上にさなぎとなった君を置いたのは
構造と構成を転換させてCを表現するためだった
口を開けておいでコーヒーを流しこんであげる
煮詰めたような濃さにおびえることなんてないよ

人と埃が同じ響きであることからわかるように
未知だというのは無学を言い換える怠慢に過ぎない
鍵盤に指をおいたリチャードが消えてしまったのは
行くことと帰ることはほんの些細な違いでしかないから

「C 一節」第一、二連
(登場人物「遠野昼夜」による)

Cは詩、私、死……かなと思って読んでいたら、どうもこれはスケッチブックの輪っかの部分を外からみたところだということが作品内であきらかにされる。「構造と構成を転換させ」るのはスケッチブックにそれぞれえがかれた作品をめくっている様子であり、そこに羽化した羽虫の羽ばたきの動きがかさねあわされている。こういう小さな遊びも意表を突かれ、読む愉しさがある。

◇ ◇ ◇

さて。最後にやはりこれについて書かないわけにはいかない。
盗作という主題について。

本作は、「盗作をされた側」のくるしさに焦点があてられている。
現実世界の事件に基づいているので、そのことも書かねばならないが、その事件においては、盗作された側はインターネット上の掲示板に詩を書いてアップロードしていたそうだ。それがまだ十四歳だという子供の手によって盗まれ、しかも彼女はそれによって公的なコンテストで何回も賞を獲ってしまった。

コンテスト運営者側の管理体制の不備や、二〇一〇年代における活字とインターネットメディアの間の絶望的な乖離など、さまざまな問題がそこにはあるのだが、この本の著者がおそらく自らの課題として考えたことは、シンプルなことである。

すなわち、盗まれた側はどうしたらいいのか、という問い。
この世に暴力がなくならないよう、窃盗もなくならないからである。

二〇一六年に行われた著者インタビューでは、著者は現代詩をテーマにした理由について、次のようにかたっている。

誤解を恐れずに言うと、死ぬ必然性を抱えていそうな人間が現代詩人だったからです。私が今まで出会った人々の中で、最も生きづらさを感じたのが彼らでした。昔から、詩で生計を立てるのは、現代のビジョンとして成立できるのだろうかと感じていました。

二〇一六年三月七日付
紅玉いづき『現代詩人探偵』 刊行記念インタビュー
東京創元社 ウェブサイト

つまり、さらに踏み込めば、こういうことがいえる。
詩人は、経済的に対価の発生しない環境下で、社会から必要とされないものを、歯を食いしばって書きつづけている。そんな詩人からものを盗むということは、それこそ殺すよりも残酷なことではないか、ゆいいつあたえられている名誉を強奪することではないか、と(つけくわえるならば、それは「詩」だけに限ったことではなく、あらゆる経済的な対価の生じないシリアスな表現がその「」のなかに代入できるのはいうまでもない)。

だが、盗む側にモラルなどないし、求められない。上の事件のように、犯人が単なる悪意なき、幼稚な子供のこともある。

著者は、本書の最後において、親友と思っていた人間に盗作され、たとえようもなく深い傷を負った主人公を、その友人の口を借りて、たった七文字ではげましている。それは、「世に出ればいい」という厳しいことばだ。

盗作など、しょせん短期的な成功を盗用者にもたらすにすぎない。

盗作された側が、何千枚、数万枚書きつづければ、そして一度作品を削除や改変しえない物理媒体の上で公式なものとして発表してしまえば、だれも盗作などできなくなる、そういうことだ。

詩が盗作しやすいものとしてあの少女に捉えられていたのは、それが短く、断片的で、固有名詞に紐づくことなく、複数の連なりの作品の一部として時系列で編まれておらず、関係性が剥奪されているようにみえたからだろう。「世に出ればいい」とは、つまり逆のことをすればいい――それは本を出すこと、出しつづけること、と一般的には解釈されるだろう。

そして、それはけして楽な道ではなく、「世に出ればいい」ということばがどれくらい厳しく、残酷で、無神経なはげましか、ということも、作品内にてくりかえしかたられていることもつけくわえておきたい。

◇ ◇ ◇

「盗作」をより大きな観点からとらえなおせば、それは社会から剥奪されつづける弱い個人、とも解釈できる。だがわたしは詩が弱者のものだという意見には賛成できないし、そもそもことばをもっている詩人や表現者は、その経済力の有無を問わず、圧倒的な強者であると常々思っている。わたしは同意しないが、詩人の生きづらさなどというものがもしこの世にあるとしたら、それこそを対価と呼ぶべきだ。この世のいかなるものも対価なしには手に入らないのだから。

そしてだれかに奪われること、盗まれること、自分のものと思っていたものが勝手に第三者につかわれてしまうこと。それはだれにも避けられない。それはわたしたちのことばがそもそも自分のものではなく共同体のものだからだ。わたしたちは先人たちの作物からことばを借りており、借りざるをえない。それをいつか世界へ返さねばならない。だからほんらいそこにセンセーショナルなことはなにもない、ということは書いておきたいと思う。

そこには、奪わずに書くことはできないのか、という問いがある。
詩も小説もなく、あるいは否定も肯定もなく、ただ問うことが作家の仕事だということ。この小説はそういうことをわたしに思い出させる。

(2018年10月19日)

紅玉いづき『現代詩人探偵』書籍情報
現代詩人探偵(文庫版)
出版 創元推理文庫
発行 2018
著者 紅玉いづき(こうぎょく いづき)
価格 740円+税
新刊 e-hon / 古本 Amazon

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