松井ひろか『デラ・ロッビア・ブルーの屋根』

《書く》ことはひとりでやるしかない。だが《読む》ことはひらかれている。ひとりぼっちの場所に立ちかえるまえ、わたしたちにはともに読むことがゆるされる。

◇ ◇ ◇

本書は松井ひろかの第二詩集。著者は一九八三年生まれ、埼玉県川口市出身。第一詩集は『若い戦果』(二〇一二年)で、五年ぶりの詩集ということになる。本詩集にてH氏賞候補。なお本書はわたしが二〇一八年のとある詩のイベントにて購入したもので、署名が入っている。

詩集題名ともなった詩から。

冬の晴れ間 父とふたりで
錆が浮いたトタン屋根に裸足で登ると
ざらつく足裏に太陽の温かさが伝達した
父が金ブラシ わたしは紙やすりで
トタンの錆や汚れを削り取り 表面を滑らかにし
いよいよペンキを塗る 色は
空よりも 海よりも 澄んだ青色
デラ・ロッビア・ブルー
——『欲望という名の電車』で心病む主人公ブランチが
病院へ連れて行かれる直前に身にまとったドレスの色——
わたしはローラーにその色をたっぷりつけて屋根の広い面を塗り
父は刷毛で細かい部分を塗った
仰ぐ空よりも
漂う海よりも
哀しみと 清々しさを湛えたその色を
塗れば 塗るほど
わたしたちの心までも彩られていった

「デラ・ロッビア・ブルーの屋根」 第一連

作中に登場する『欲望という名の電車』は、一九四七年制作、米国のテネシー・ウィリアムズの戯曲だが、二〇年ぐらい前に読んでほとんど内容を忘れていたので、そのくだりを再読してみる。

具体的に書けばそれは没落貴族の出身の主人公ブランチが妹の夫である野卑な労働者スタンリーに暴行され、そのショックで精神病院に連れていかれる前のシーンで、デラ・ロッビア・ブルーはブランチ自身のことばを借りれば「聖母マリア画で用いられていたローブの色」を指し、そこにはマリアの処女性を外見だけでも身にまとおうとする彼女のこころの動きがある……のだが、上の詩からは、『欲望という名の電車』の重苦しい主題に関連する要素をほとんど読み取ることができない。

他の詩作品にも固有名詞が頻出する。具体的にはイマニュエル・カント、ジャンヌ・サマリー、マリーナ・ツヴェターエワ、トラウデル・ユンゲ、ウニカ・チュルン、などなど。詩連の最後に解説として人物紹介が付されている。たとえば次のように。

むねの開いたドレス
ゆめみがちな青い瞳
みずみずしい肌の艶
珊瑚色のリップとチークを付けたあなたの微笑みの背後は
あかるい花色の世界
ジャンヌ・サマリーさん
あなたのすべてが若さに満ち満ちてわたしを打ちのめします
三月のモスクワ まつげに積もる小雪をはらいながら
あなたの微笑みに初めて出会ったとき
わたしたちは二十歳でしたね

※ジャンヌ・サマリー(Jeanne Samary 1857〜1890)はフランスの女優。脇役ばかりで大きな成功は収められなかった。

「夢想――ジャンヌ・サマリーの微笑み」 前半、注釈は部分

昨日、シルヴィア・プラスの人生を受け止めた詩人の本を読んだわたしたちは、松井の書き方はあまりにも当事者性に欠けるのではないか、と批判することもできるかと思う。詩に借用される固有名詞は、たまたま目についただれでも・・・・いいのではないか。

一方、これは固有名詞を詩作品に借用しながらも、それらに紐づいている固有の重苦しい物語から、詩を意図的に遠ざけようとする戦略ではないかとも読める。

つまり遠いこと、当事者性を喪失していること、デタッチメントそのものとなって無関係性を生きるほかないこと、そうした生存の距離感そのものが、詩のかたちで、それもおそらく著者の世代に特有の抜き差しならぬパースペクティブとして提示されているように見える。そう解釈したとき、おもしろさが出てくる。

ただわたし個人の好みとしては、私小説的なものが好きだ。
たとえばこの詩集で一番好きな詩をあげる。

古典的な劇薬をいつもより少し多めに飲んで
もう覚めることはないと思ったのに
眼が覚めたら
母がわたしの顔を見て哭いていた
十七歳
死にたいと
生きたいとが
同義語だった季節
母が言った
――あんたの人生はこれから
だんだんよくなるほっけのたいこだよ
わたしはその言葉の意味が良くわからなかったけれど
わたしのひろいおでこは清涼感を覚えた
外ではハイビスカスの花が雨粒の重さに耐えかねていた

「鎮める六月」第一連

実際に起きたことであるかどうかとはなんの関係もなく、読者であるわたしたちにも、自殺を試みた娘に母がかたりかける「だんだんよくなるほっけのたいこ」ということば、それが雨の中で輝いてみえる。意味はわからないが、わからないことそのものが必要とされていて、それが書けるのはやはり詩なのだということを思う。

また、屋根の上で父とペンキを塗る冒頭の詩もきわめて印象に残った。《千日詩路》では、現代を「孤立と断絶の時代」と仮に呼んでいるが、松井もまたそのデタッチメントの中で手法を模索しつつ格闘する書き手なのかもしれない。

(2018年8月29日)

松井ひろか『デラ・ロッビア・ブルーの屋根』書籍情報
デラ・ロッビア・ブルーの屋根
出版 モノクローム・プロジェクト
発売 らんか社
発行 2017年
著者 松井ひろか
価格 1200円+税

「松井ひろか『デラ・ロッビア・ブルーの屋根』」への2件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。