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橋本シオン『ep.』

意味のないことの意味・・・・・・・・・・について考える。手を動かす、手をつなぐ、手をきりおとす、あるいは落とされた手を拾い上げればそれは祈りのかたちとなる。だがこれらの所作にほんらい意味はなく、ただいずれかの点Aからいずれかの点Bをむすぶ複数の連続した動きがあるだけだ。

だがそこには意味をもとめてしまうこころの動きがある。だれしもが生に意味をもとめ、そしてそれはけしてえられない。いや、こう言いかえよう。だれしもが《書くこと》に意味をもとめ、そしてそれはえられない、と。

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橋本シオンは一九八九年生まれ、東京都在住。『詩と思想』にて二〇一六年度「現代詩の新鋭」選出、同誌新人賞入選。二〇一七年、詩集『これがわたしのふつうです』にて中原中也賞およびH氏賞候補。

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猛暑が去った。関東を嵐の前触れともいえるしずかな残暑の気配が覆っている。

本日取り上げる詩集『ep.』は電子書籍で、二〇一四年発行、アマゾン社のKindleプラットフォームを経由して一般に販売されている。やや短めの詩集で、詩五編を含み、巻末詩「イーピー」は三部構成。表紙には椅子に座った裸体の女性を横から見た構図のデッサンがあしらわれており、その横顔はぼかされている。

わたしは橋本のことは『詩と思想』誌上で最初に知った。その詩を引用してみよう。

ミキちゃんの小さな足で、夜の東京を歩くと、コンクリートしかなくて、何年経っても道は変わらないのにお店ばかりがかわっていって、わたしの家はどこだろうって、探してみるんだって。お母さんの料理を思い出して、ひとしきり泣いたりするんだって。うちゅうの中の、ちっぽけなわたし、の、ちいさな生活が、屋根に降り積もって灰の様に飛ばされちゃって、わたしいま、どこにいるんだろう、って。

そしたら夜は、死にたくなるじゃん。だって夜だもの。社会にあぶれたなにもない家に。だれもいないこの家に。でも、わたしはいるじゃない。だから、ミキちゃんを呼んでみるじゃない。それでも、いるんだ、わたしが。胃液を吐き出したミキちゃんの横で、ツイッターして、布団にもぐるわたしが、いたんだ、わたしが。

「ミキちゃん」 第三、四連
『詩と思想』二〇一六年四月号

くりかえされる「わたし」が分裂し、並列され、かさなりそして離れる様子は、ソーシャルメディアにあらわれるたくさんの「わたし」の物語そのものだ。そうした現代をえがくために選び取られた文体をみる驚きがまずある。都市においては店がどんどん変わるように、母国語においては標識である語彙もまたころころと変化してゆく。その空間の中で自分自身もしばしば行方不明であり、わかたれた自分(わたし、ミキ、わたし)を通じて、ばらばらになった《このわたし》の物語も無限に励起されてゆく。

どうしようもない夜に眠る芋虫は夢を見る。ぎざぎざの柔らかな歯に煙草を挟んで、だらしなく寝ていた海岸線を思い出す。白子みたいにぐじゅぐじゅになった言葉と涙を腹の中に抱えて、眠る芋虫は髪の毛をだらしなく伸ばして夢を見る。

星空は半円の深い闇の中で瞬いていた。ひっそり小さな身体を滑り込ませぱちぱちと。芋虫の横にいる人のツラをした芋虫も、またきっと夢を見ていた。飛び込んだ大都市の近未来を嗅がされて、皆一様に芋虫になっていく。

「いもむし」 第一、二連

だれしもが見覚えのある「どうしようもない夜」はつづく。選択肢のうばわれた(かのように見える)生活において、わたしたちはことばだけを抱え、いつか変態を遂げる可能性を夢見ながら眠るだけの一匹の虫になっている。ここでいう芋虫はどちらかというと樹木上のものではなく土の中にいる甲虫類のそれを想像させるが、手(足)が複数ついていながら、移動がゆるされない生き物がえがかれているということに留意し、読み進める。

エビって気持ちが悪いよね、あの形状なんともいえないよね。だってよくみてよこの沢山ついた足と尻尾。食べたらとても美味しいけどこんな形でよく生きているよ、と、蛇口に向かって話しかける。シンクをうちつける音で彼は相づち代わりをする。

お喋りを続ける最中、春と言う言葉で誤魔化した侵入者を発見した。寄ってたかって蟻の行列みたいに、あれは子鬼の群れか、それとも小さな母親か。冷蔵庫の裏、靴底の隙間、シャワーヘッドの中まで。この家は幻想に包まれて同化していくんだ。

(…)

隙間の街からは遠く離れた、土曜日の午前中。空には雲が敷き詰められていて、四月だというのに風がとても冷たくて、小さな雨粒が子鬼の口を満たしていた。エビの殻をむきながらわたしは蛇口とお喋りをして、鎮痛剤を飲み、赤い斑点が宇宙を知りたくて爆発を開始した。そのうちエビが踊りながら蛇口に吸い込まれていく夢を見て、気づけば夜になるのかもしれない。

「住む」 第二、三、七連

再びたくさんの手(足)のある生き物について、今度は口を通じて体内に取り込まれる準備がなされている。それは外殻を剥がれ、手(足)を切断され、内蔵を摘出された状態で調理され、咀嚼されるはずだった。しかしこの「白子みたいにぐじゅぐじゅになった言葉」を取り戻す工程は、やはり幻想で、最終連において「エビが踊りながら蛇口に吸い込まれていく夢」としてえがかれ、そのことばの行方もまた宙吊りにされている。変化はゆるされない。

東京での生活もかれこれ二年になろうとしている。小さな田舎町を飛び出したのは夏になる前のことで、あの時私は二十三歳だった。東京はいつもぐるぐる回りまわって、ファンデーションまみれの精子と卵子の巣窟だと思っていた。中心に立つ馬鹿でかいタワーのしたに、私と私達の知りたいなにか大切なものが埋まっていて、探り当てに行かなければならないと思っていた。

アスファルトが毛細血管みたいに伸びて、ところどころにある小さな公園は私の爪みたいだった。その中で家さえ借りれば白血球とか赤血球とか、なにかひとつの細胞気取りで、ぐるぐる回りまわる東京の近未来に乗れると信じていた

「イーピー」 一部、第一、二連

私小説を思わせる三部構成の表題詩。「馬鹿でかいタワー」のファルスがあらゆる場所と場面で誇示される都市をみながら、その真下にはそれと真逆の傷つきやすい内蔵(白子)が隠され埋められている風景が発見されている。だがそれは掘り返されることなく、書き手は塔のまわりを、近づこうとする加速度をもって円をえがいて落下することしかできない。掘り返すためには手(足)がなければならないが、その爪も細胞もばらばらになり、ことばは毛細血管ネットワークを通してすでに拡散してしまっている。

灰色に均した近未来のにおいを嗅がされて、私達の脳みそはつるつるに磨かれていく。緑に耕されていた頭の中が、今では海のにおいも風景も忘れて、ちかちか輝くタワーの光で目の中まで一辺倒だ。狭い土地の半円でおしくらまんじゅうみたいに人々が飛び込んでは何も無いと気づいていく。均す必要も無いアスファルトを綺麗にしようと必死になる。そういう人々の群れでただ愉快な街になる。

若い私達に気づく目はあるはずなのに、精子と卵子の工作でピンク色のホテルにばかり興味が移って、月と同じ高さのビル、夜を曖昧にするコンビニの灯り、なんの疑問も抱かない。平成という称号、八十九年という時代の事実、ただの数字の羅列だとのたまってはいけないのに。でなければ私は君と出会わなかった。手を繋ぐこともなかった。

「イーピー」二部、第一、二連

「つるつるに磨かれた脳みそ」や「夜を曖昧にするコンビニの灯り」によって均された灰色の風景、それをわたしたちはあまりにもよく知っている。しかしもそれはすでに都市だけの話ではない。地方のあらゆる場所に偏在する巨大商業施設、コンビニエンスストア、飲食店フランチャイズ店舗の提供するサービスと物品のおそるべき画一性を想起するだけで足りる。個人は溶解し、手(足)を失い、ばらばらになった関係性をかかえ、ゆく場所もかえる場所もなくした《このわたし》の物語にみちあふれる二〇一八年の風景がそこにある。

不意に登場する(昭和)「八十九年」が、詩と《いま・ここ》にある現実をつなぐ。
別の言い方でいえば想像力によってしか到達できない、ありえないいつわりの場所へと詩をつなぐ。その存在しえない場所でのみ詩は手(足)を取り戻し、だれかとめぐりあうこと、そして奪われた手をつなぐことがゆるされる。

二年が経つこの木造アパートで、話すのはもっぱらタワーの下に隠された知りたいなにか大切なものの話で、昔はもっと夢に溢れていたような気がするが、もはや私達は知っている。知っているけどそれでも話してしまうのは、あの囁き声が聞こえるからだ。隠されているものなんてとっくに畳の裏で骨になっている。君が居なきゃ何も出来ない鏡張りのトーキョーイーピー。隠された種達の悲痛な叫び。探り当てに行く必要ももはやないタワーのしたで、骨になったあいつを隠す必要もない。

「イーピー」三部、第三連

遠くから見ていた時は輝いてみえたものたちは、手元においた瞬間にその魅力をうしなう。よってわたしたちは不可能にとどまらねばならない。現実の灰色の東京ではなく芋虫たちの夢の中にしかないトーキョーをめざさねばならない。

なにもかもが鏡張りとなった外部化された内面の牢獄の内に閉じ込められたまま、現実にはけして存在しえない場所へどう向かえばいいのか? そのためには、やはり《わたし》だけが見出しうる隘路をゆくしかないのだ――橋本の詩は、そういうことをわたしに考えさせる。

(2018年8月20日)

橋本シオン『ep.』書籍情報(電子書籍)
ep.
出版 キリンスタジオ
発売 Amazon Services International, Inc.
発行 2014年
著者 橋本しおん(※原文ママ)
価格 100円

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