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葉山美玖『スパイラル』

※本稿は根本正午の個人ブログ「仮象の帝国」を初出とし、再掲にあたって大幅に加筆修正を加えた

夜の店の女たちは名前をいつわる。ほんとうの名前は客の男に教えるべきものではない。大切に隠されたものを、たかが一晩数万円程度の相手に売却はしない。そのいつわりとはつねに細心の注意をはらってつくりあげられるものであり、それをほんものと区別することは、つくった本人にもできない。『マクベス』の魔女を思い出すまでもなく、いつわりこそはほんものであり、ほんものこそがいつわりである。その矛盾、それを希望とよんでみたい誘惑にかられる。

わたしはことばを信用しない
一万円札なんまいかを信用する
あんたが一万円札なんまいかを
いつでも投げ出したいひとがあんたの希望だ

「あまえない」後半

◇ ◇ ◇

葉山美玖は一九六四年東京生まれ、さいたま市在住。本詩集『スパイラル』で第49回埼玉文芸賞詩部門準賞受賞。個人詩誌『composition』を発行している。本詩集の装幀画は藤沢彦二郎の手によるもので、夜の路上で若い女性がひとりで携帯の小さな画面をじっと見つめる姿が描かれている。

◇ ◇ ◇

ひとは、生々しい現実の手応えを人生におけるさまざまな出来事によって掴んでゆく。わたしの個人的な思い出をかたるならば、それは「日本語もろくにできないくせに」と学校でいわれて帰宅する路上にのびる影であり、「あなたが好きなのは自分だけ」といって女が出ていった後にホテルの部屋で煙草を吸う夜であり、「子供と家族を捨てたくせにえらそうなことをいうな」と親戚に説教される午後三時の喫茶店でもあり、十年かけて必死に書いてきたブログを一つ残らず削除した夜のしずけさでもある。

現実、はさまざまな形をとる。現実の手応えとは具体的にどのようなものか。葉山はそれを「自分の足で歩く」と表現している。

父とまたしても喧嘩して
しばらく会わないことにして
靴の裏をぺたんぺたんと
地面にくっつけて歩いていると
私はようやく自分の足で歩くことができた

どこまでも真っ直ぐに
一人きりで歩いて行くことは
自信はつくけれど
とてもとても頼りないことで
私は素直にボーイフレンドの前で泣ける気がした

暗い道路には信号の青が照り映えていたけれども
いつもの食堂は臨時休業だった
部屋の鍵をかちゃりと開けて
たらこと大葉のスパゲッティを茹でて
レタスと林檎のサラダに人参ドレッシングをかけて食べた

「ミント色の靴」 第一、二、三連

現実、または《世界》はさまざまな出来事の断片の総体としてたちあらわれる。ばらばらになったわたしたちの見る現実はそれぞれ大きく異なり、その異なりに気が付かないまま、ひとの生活のなにもかもが暴露されているかのようにみえる現代社会において、すれ違いそのものとなって生きざるをえない。「真っ直ぐに/一人きりで歩いて行く」と決めた書き手の行き先が臨時休業だということは示唆的だ。

葉山の詩集を読み進めながら、自分が夏の朝が自分のもっとも好きな時間であるということを思い出す。もえあがる光が東の地平線から街を覆いつくすその瞬間をきらいな人間がいるだろうかということを思い、そして遠くの夏の個人的なある朝のことをふと思い出す。詩のかたちとなった記憶を通して、自分の記憶があざやかによみがえる。あるいは取り戻してしまう。詩にはそういう力があり、そこにけしてつながることのできないわたしたちのつながりを取り戻す可能性があるのかもしれないということを思う。それは嘘かもしれないが、その嘘は好ましい。

あなたの精液を根こそぎ絞り取った朝
井の頭公園の夏というより春めいた街灯を歩き
各停の始発はゆっくりとよろめき
セーラー服の少女の出立姿を見つめている学生服の少年の
視線にきらめくような陽光が浮かび上がり
そうあれはわたしでした

朝の街灯」 冒頭

だが現実とはそのほとんどの局面において残酷なものであることをわたしたちは知っている。ソーシャルメディアに日々拡散される《このわたし》の物語に目をやれば、生まれなかった子供、こわれてしまった婚姻関係、破綻してしまった事業など、ひとの命をぎりぎりまで追い詰める出来事にわたしたちはけして事欠かないことがわかる。そのそれぞれの困難な人生において、いかり、かなしみ、殺意はもっとも親しい友人というほかない。そして一度生じたそれらはまるで当然のような貌をしてこころの中に居座る。居座ってたまに叫び声をあげる。追い出そうとしても出てゆくことはない。いつでもそこにいて刃を磨いている。それは外に向かう前に、まず自分のこころにまっすぐ向けられている。

私は殺す
五才の時の朝焼けを殺害する
十七才の時のうろこ雲を殺害する
三十二才の時の俄か雨を殺害する
一度コロス度に激しい咳が出る
(…)
人を殴りつけていると
私はどんどん空の電線に縛り付けられて行くようだ

私の咎」 冒頭、結び

わたしがこの詩集でもっとも好きな詩は、次にあげる「IN/OUT」だ。

昨日、先生に言われたこと。

「詩で他人を傷つけてはいけない」
シデヒトヲキズツケテハイケナイ
シデヒトヲキズツケテハイケナイ
その言葉は私を何だか不意に打ちのめした

帰り道に
いろんな人の姿を見て
若い手を繋いだカップルや
自転車に乗った小母さんや
くたびれたベレー帽を被ったお爺さんや

たぶん皆が皆
それぞれの思いを抱えて
くすくすと笑ったり
ビルの影でしのびないたりしているのだと思うと

黄葉し始めた木々の葉っぱの匂いや、
道端の定食屋の油の匂いや、
選挙のポスターの糊の匂いまでが
私の鼻孔に押し寄せて来る気がした

イン・アウト
イン・アウト
呼吸をしているうちに、
私は今、世界と生まれて初めて繋がり始めた

IN/OUT

葉山は、詩で他人を傷つけてはいけない、といわれたと書く。だが他人を傷つけない行為があるだろうか。他人を傷つけないことばがあるだろうか。わたしたちは知っている。この世のいかなる行為も、いかなる感情も、いかなる事象も、だれかの開かれた傷の中からしか生じないのだということを。二〇一八年に生きるわたしたちは知っている。この世のいかなるものも、はてしなくひとを傷つける《世界インターネット》を経由することなしには、いっさい手に入れることができないのだと。

そこに書かれていることは傷こそが世界へとつながる道だということ。その理解にふいに打ちのめされる。そのぎりぎりの場における理解と、それがもたらす目眩をわたしは読者とともに共有する。あるいは、裂け目からしか見ることができないこの世界のほんとうの風景を共有する。

《世界》は傷にまみれている。《このわたし》は傷ついている。その傷からながれる血はことばとなって氾濫し、いまこの現代にみちあふれている。それは詩の読者だけではなくありとあらゆるひとをとじこめる電磁的な牢獄であり、そこから逃れる道とは、「IN」と「OUT」が同時に貼り付けられた裂け目にしかない。

詩は不可能な解をしめした。ひとを傷つけてはならない。だが……の後につづく聴くことのできないことば、それが希望なのかもしれない。それを他人に与えてもらうことはできない。

(2017年9月29日 初出)
(2018年8月14日 改稿)

葉山美玖『スパイラル』書籍情報
スパイラル
出版 モノクローム・プロジェクト
発売 らんか社
発行 2017年
著者 葉山美玖(はやま みく)
価格 1200円+税

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