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服部誕『三日月をけずる』

――破られた紙のむこう、倒れた高架の陰の下。
ほら、ころがっていますよ? 詩の生首が。

■ ■ ■

本日は2019年2月12日(火)。関東はまだ雪があちこちに残る寒さ。

今夜、私たちが読む詩集は服部誕の『三日月をけずる』(書肆山田、2018年)。著者は1952年兵庫県芦屋市生まれ。『右から二番目のキャベツ』(2017年、同)(#0045)に続く第五詩集。その他の詩集に『首飴その他の詩篇』(1986年)、『空を飛ぶ男からきいたという話と十八の詩篇』(1992年)、『大きな一枚の布』(2016年)がある。27編を126頁に収める。なお本書は著者より頂いたもの。

前回の記事で『右から二番目のキャベツ』を取り上げたのは昨年の10月のことだったが、その時、この詩集に不思議な縁を感じたことについて書いたと思う。そこには書き切れなかった逸話がある。というのも私はその詩集を『最後から二番目のキャベツ』とずっと間違えて記憶していた(それはちょうど読んでいたP・K・ディックの小説『最後から二番目の真実』のせいだ)。そしてその誤読、、によって、長らく私の頭のなかにずっとこの詩集の存在があった、ということが言える。

間違えるということ、誤読するということ。本詩集を読むにあたって、そのことが不思議な縁をもたらしたということをまず書いておきたい。

さて、余計な話が長くなった。今回は詩集を頂いたこともあり、遠回りすることなく、誤読もできるだけ少なく、素直に読めるのではないか……と思っている。

■ □ ■

それでは読みはじめてみよう。
「猫と歩道橋 宮川歩道橋(若宮町)」から。

おととい死んだ母を連れてひさしぶりに宮川歩道橋をわたる
腰の曲がった母は杖をつきながら
もう一方の手でわたしの袖にしがみつき
一段ずつたしかめてのぼってゆく

六年間毎日のぼりおりして
すぐそばにある宮川小学校にかよったこの歩道橋は
阪神大震災のときにひしゃげた高速道路が再建されて
橋床の真上を覆っているので昼間でもすこし薄暗い

橋のちょうど真ん中あたり
猫を膝に抱いた老婆が粗末な丸椅子に腰かけて
たえまなく車の行き交っている下の国道を一心に眺めていた
猫はしきりにかぼそい声で鳴いている

母は老婆を認めると軽く頭をさげて挨拶した
「あれは誰だっけ?」歩道橋をおりてわたしが訊ねると
「昔、近所にいた、たしか、地震で亡くなった人よ
なんて名だったかしらね」と首を傾げてつぶやいた

母を野辺に見送った帰りがけ
たそがれどきの歩道橋に老婆の姿はない
鳴きやんださっきの猫が丸椅子の上で香箱座りにじっと動かず
老婆に代わって車の行き交いを見おろしていた

「猫と歩道橋 宮川歩道橋(若宮町)」第一〜五連

すでにいない者を連れて詩は歩きだす。

本詩集には、著者が生まれ育ったという芦屋市近郊の地名が題名に頻出する。地図サイトや写真で調べてみると、「宮川歩道橋」とは高速道路の高架下に伸びる道路にかけられた歩道橋のようだ。そこには二重の橋が存在している。

一番下にある道路を横切るための「橋」と、さらにその上にある道路を縦に上書きする「橋」(高架)である。それは私たちの線的な人生を横切っては別れていく様々なひとびとと、自分たちを追い抜いて先に消えてゆくひとびとのことを想起させられる。この詩ではそれに「母」という名前があたえられている、と読める。

個人的な記憶だが、阪神大震災が起こったのは1995年で、その時私は外国から一時帰国して遊びに来ていた母と一緒に、神保町の古本街で買い物をしていた。私の下宿にはテレビがなく、当時は携帯端末といった便利なものもなく、確か昼ごろだったと思うが、店に置かれたテレビが被害の様子を伝えていて、その様子を見て驚愕したことを記憶している。だが、阪神大震災は、関東に住む私の、、震災にはならなかった。2011年に東日本大震災があり(とくに原発事故があり)、当時の自分が感じとることができなかったものについて思う。それはあまりにも身近な死の感覚だ。

詩は再建された「ひしゃげた高速道路」についてかたる。巨大な建造物が倒れたことによって、亡くなったひとびとの思い出がそこにかさねられると同時に、その瓦礫の上にふたたびつくられたものたちがかたられている。つねに自然災害に襲われる日本にとって巨大な自動機械のように定期的に訪れる厄災と死はあまりにも身近なものであり、そうした痕跡にみちあふれる場を死者に袖をしがみつかせて歩いていく様子は、黄泉への道行きのように読める(だが、死者の手を握っているわけではない。握ってしまったとき、ひとは死ぬのだろう)。

当事者としての死——それを普段私たちが忘れがちなのは、震災の発生をテレビで見ていた私が感じていたように、それを遠いものとして感受しておきたい気持ちがあるからだ。第一連で印象深いのは、語り手が死に袖をしがみつかせていること、それを受け入れているからだ、ということを思う。そこにえがかれているのは母に対する優しさというよりも、死の当事者であることをひそかに引き受ける宣言のようにも感じる。

第三連には、もう一人の死者があらわれる。それは猫を膝に抱いた老婆である。死者と生者の道が自由自在にすれ違う、時間が錯綜する場において、その老婆は地震で亡くなったとある他者であることがかたられる。その老婆の名前が母によって記憶されていないのは、そこにあまりにもたくさんの死があったからであり、死者が死者を思いだすことができないからだろう。それを思いだすのは、母に袖をつかませて歩く側、いま生きている側なのだから。

第五連に登場する香箱座りの猫もまた横倒しになった墓石のように読める。生を記録している墓石はものをいわず、その持ち主(飼い主)が死亡した後も、じっと生が流れてゆく道を眺めている。

車が行き交う道路、それを横切る歩道橋。そこを覆うようにして流れる巨大な(交通の)大河がそこに陰を落としている。生者と死者が入り交じり、過去と現在が混淆する複雑な構造物が詩によって想像されている。

どうしてこんなところで鶏は
轢かれてしまったのだろう

通りすぎてゆく車の騒音にまじって
聞こえてきたのは
トラックが避けようともせず轢いてゆく鈍い音
もう何十もの車に轢かれたあとなのか
鶏のからだは
ひらたくもりあがっているだけだった

ひっきりなしに車の往来する第二阪神国道
片側四車線のひろい道路の前に立って
なかなか変わらない信号を
母とならんで待っていたとき
鶏が一羽 横断歩道の太い白線の上で
血まみれになってひしゃげているのを見つけたのだ

もうどれくらい時間が経ってしまったのだろうか
わたしは鶏が轢かれた瞬間の光景を思い描く

首を伸ばしとさかをたてて
ちいさな鶏が横断歩道を
むこうからこちらへと渡ってくる
競歩の選手のように首をふり
その短い脚で進もうとするが
青信号のあいだのわずか数十秒では
ひろい国道を渡りきれない
信号が変わるのを待ちかねて
急発進したスポーツカーが
鶏を撥ねたのは
ボンネットの陰で
赤いとさかが見えなかったせいだ

あとからあとから通過するタイヤの群れのなか
まきあがる風に浮かび去ろうとする羽毛も
ふたたび路面に貼りつけられる
鶏の血は白線にとび散ったまま乾き
すでに赤黒いしみに変わろうとしていた

轢かれた鶏 打出交差点(浜町)」第一〜六連

ここで登場している打出交差点は、上でかたられている同じ高速道路の下にある交差点だということだ。調べてみるとかなり事故が多発している場所であるということがわかる。

また個人的な話で恐縮だが、私は詩が主な舞台とする芦屋市からさほど遠くない尼崎にある小学校に通っていたことがあり、その時代の空気を思いだしている。当時はちょうど高度成長期が終わりかけた80年代の最中であり、ほぼ毎日のように「光化学スモッグ警報」が発令され、大気は汚れ、道を轟音をたててたくさんのトラックが行き来していた。脇目も振らない経済成長がもてはやされ(それは昨今の中国などと同じだ)、健康被害ということばを聞くことはなかったし、だれもそれをおかしいと思っていなかったことを思いだす。

詩は轢かれた鶏についてかたる。鶏は人間が食事に供するために飼育されるものであり、消費物であり、どこか見えないところで殺害され、血抜きされ、解体され、パッキングされて大量に流通する商品でもある。鶏が輸送中に逃げ出したのか、野生化したものなのか、それはわからない。わかるのは私たちのまわりにたくさんの鶏がいることであり、見えない鶏が今日も殺害されているということであり、そのことに気が付かないということであり、詩にならっていえば「均された死」に私たちは気づかないということである。

より具体的に書けば、均された死骸は均されることによってほんらいのかたちを失い、それに伴う生物としての記憶や尊厳を失い、たんなるモノへと還ってゆく。それは過去ほんの二十年の間だけでも何度もくりかえし起きた震災によって、たくさんの思い出がたんなる「瓦礫」へと化していったことを想起させられる。だがその変化をもたらすものはじつのところトラックではなく、具体的なだれかでもない。それはもっと巨きなもの、私たちの住む世界に巨大な陰をおとしている、感情を持つことのない構造物のようなものだ。

死はふたたび忘却される。殺した側は殺したことを忘れ、殺された側は単なる「ひらたくもりあがった」モノとなって忘れられる。そこでかたられているのは鶏のことだけではなく、私たちは「どうしてこんなところで」とつぶやくほかない。答はない。いや、むしろ問いそのものが間違っているのかもしれない。

だが第四連、詩はくりかえしその光景に立ちもどっている。それは「もうどれくらい時間が経った」かわからないような昔のことであるはずだが、そこには答のない残酷さの前に私は、、立ちどまらなくてよいのだろうか、という詩の問いかけがある。

少し話は変わるが、第五連。鶏をはねたのはスポーツカーであることがかたられている。そこには自分のことを強者と思いこんでいる所有者の傲りが示唆されているが、私は最近ツイッターで見かけた、現金を世間にばらまいてみせることに愉しみを見いだしているらしきZOZOという会社の経営者のことを想起した。スポーツカーが鶏をはねたのは「赤いとさかが見えなかった」ためだが、信号が変わるのを待ちかねて急発進したその身勝手さも含め、そこにある喩はなにかの教訓のようにも読んだ。

仕事を辞めてからの無聊を飼いならすため
我が家から歩いて十五分かかる最寄り駅の駅前の
仕事帰りによく立ち寄っていた安い酒場まで出てきて
早い時間からひとりで飲んでいると
若いサラリーマン二人連れの会話が耳に入ってきた

社員寮をでて引っ越しをするらしく
不動産屋に貼られている物件一覧をみていると
そのなかに「築三分・駅十年」と書かれたものがあったと
その書きまちがいに二人して大笑いしている

聞くともなくそれを聞きながら盃を重ねて
ひそかにもらい笑いをしていたのだが
もしその家が本当にあるのだとしたらと わたしも
酔いにまかせて心遊ばせる愉しい空想をしはじめた

さてそれからどれくらい呑んだだろうか
気がつくとわたしは
その張り紙を見たという若い男のあとを千鳥足で尾けていた
彼が勘定をすませているときに
いまはその物件に住んでいるのだと
酒場の亭主に囁いたのが聞こえたからだ

「酔余の尾行」第一、二、三、四連

築三分、駅十年……単なる間違いのはずなのだが、その間違いになにか興味を惹かれる語り手(わたし)の姿にどこか共感を覚える。もっとも入れ替わってはならないものが入れ替わっていることはおもしろいものだからだ。

私が想像したのは、おそらく語り手がいちばん興味を持ったのは「駅十年」のほうではなかったかということだった。第一連、家から最寄り駅まで必要な時間は十五分とかたられているが、もし駅まで徒歩で十年かかる家があったとすれば、駅にある酒場からその家に帰宅してたどり着くために必要な時間はさらに十年かかるはずだ。往復で合計二十年。語り手が後をつけたのは、その不可能な時間を遡るためなのかもしれない。

かつて会社員であった自分の人生と、現役の会社員をやっている他人の人生が酒場という一点でかさなりあう。私がおもしろく読んだのは語り手がその見知らぬ第三者をわざわざ尾行していることで、そこにはたんに酔っ払っているからという動機を超えた、どこか強い衝迫を感じる。かれはなにを確かめたかったのだろうか? と考えてみる。間違いが生まれる現場……ということを思う。間違いがまさに生み出される場。誤読、すれ違い、無理解がたちあらわれる場、か。

詩のなかで時間が錯綜するのはアルコールの摂取がきっかけなのだが、書き手(作者)がこの詩を書いたのは、きっかけとなる出来事(と思われるなにか)のだいぶ後になってから、机の前に座って、酔いの冷めた頭でこれを書いたのではないだろうか。ある書き間違いがなにかをかたっていること、それに事後的に気がついたこと、書き間違いがかたるものに後になってふたたび立ちかえり関心を持つこと……それらが詩、書くことの土台をつくっているように感じられる。それは過去を振り返りながら、そこに不可避的に誤謬や誤読があらわれるのはなぜか、と問うことなのかもしれない。

……と、ここまで書いて著者注をあらためて読むと、この逸話はとある人物から聞いた話に着想をえたということだった。上に書いたことは私の誤読であるというしかなく、私は苦笑しながら、むしろそのことを書きしるしておきたいと思っている。

□ □ □

本詩集で私がもっとも好きな詩は、冒頭に紹介した「猫と歩道橋」とかなり悩んだが、「村上三郎は鵺塚のなかに消えた 松浜公園(松浜町)」を挙げたい。

脚注によれば、「松浜公園」はいまは芦屋公園と呼ばれている川沿いの公園。
詩は村上三郎が「塚のなかに消えた」と書いている。おそらく村上はパフォーマンス後、ごくふつうに塚のなかから平気な顔をして舞台に挨拶のため戻ってきたのではないかと思うが、「ヒトが あっというまに/この世界からいなくなることを知った」という一行がとても好きだ。間違えているのに、間違えていない。いや、間違いが、よりこの世界のほんとうの姿をあらわす方法になっている、と読める。

「ここではないどこか」はどこにもない。芸術家の村上三郎はそこへと向かおうとする運動、その力そのものをパフォーマンスで、いわば代替的に表現しようとしたのだろう。襖を破ることは少し体が大きくなれば子供にもできるが、そこにあらたに意味を創出するのは大人たる作家の仕事であるはずだった。

もうひとつの生を想像せねばならない。そしてそれはこの世界を誤読すること、間違えることによって可能なのではないか。そういうことを考えさせられた。もちろん、その生に、私たちがけしてたどりつけないとしても。

わたしの最初の記憶は
両親に連れられて遊びに行った松浜公演で見た
「紙破り」の光景だ
当時四歳のわたしがそのとき偶然目にしたのは
襖大の木枠に張り付けられたハトロン紙を
走りながら体ごと突き破るというパフォーマンスだった
おとなたちが大勢集まっているなかから
ひとりの男が奇声をあげて走りだし
松林のなかに据えられた白い扉に突進して
突き破り駆け去った

一九五六年夏
吉原治良率いる前衛美術集団「具体美術協会」は
芦屋川の河口近く
川沿いにひろがる松浜公演で初の野外展を開催した
吉原の盟友・村上三郎はその前年
「具体」の東京での展覧会で「紙破り」をはじめて行ない
従来の美術概念からの逸脱を試みた表現として脚光を浴びていた
そのパフォーマンスは
村上の真骨頂が表れたものだと高く評価されたが
実は彼の息子が自宅の襖を突き破ったのを見て
思いついたものだった

幼いわたしの記憶に焼きついたのは
破られた白い紙の向こうに見えた
薄暗い林のなかに建つ
「鵺塚」と呼ばれる大きな石の塚だった
京の都を荒らす鵺という怪物が退治され
ここ芦屋の地に流れ着いた遺骸が
篤く祀られたことに因む石碑に向かって
村上はまっしぐらに駆けてゆき
そのままその塚のなかに消えた
わたしはヒトが あっというまに
この世界からいなくなることを知った

家に帰ってからわたしは
村上がやったのと同じように
襖に向かって突進して
〈ここではないどこか〉へ行こうとしたが
非力な四歳児は見事に跳ね返されてひっくりかえり
したたかに頭を打って
たんこぶをこしらえただけに終わった

「村上三郎は鵺塚のなかに消えた 松浜公園(松浜町)」第一、二、三、四連

(2019年02月12日)


服部誕『三日月をけずる』書籍情報
三日月をけずる
出版 書肆山田
発行 2018年
著者 服部誕(はっとり はじめ)
価格 2500円+税

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