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詩誌『早稲田詩人 Vol. 39』

――割れる卵と割れない卵、生まれたい赤子がいるのはどちら?

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

本日は火曜日。今日わたしたちが読む詩集は早稲田大学詩人会発行の詩誌『早稲田詩人 Vol. 39』。早稲田大学詩人会は一九六〇年発足の会。本書は二〇一八年十一月の第二十七回東京文学フリマにてわたしが購入したもの。本書は現代詩、漢詩、定型詩の三部構成になっており、十三名が参加。それぞれが詩を数編ずつ掲載し、これを七十六頁に収めている。なお参加しているのはすべて早稲田の学生だということを当日ブースにて聞いている。

さて、それでは読みはじめてみよう。きなり谷ゆきこの「通過」から。

あなたはまた眠っている
意識がシーツの下に揺れ沈み
樹木の闇で肌を濡らす
あなたのうしろから
暗い手を伸ばす
髪にさわる寸前をしずかに留めた

幻想で腹を満たした女児らが
大行列をなす昼間を見た
口紅を押し当てた白い壁を通り過ぎた
壁のなかには眼がびっしりと詰まっている
ことに感づいた者から大人になっていく

木々のざわめき
虫の鳴声
獣の息づかい
それらすべてそこにはなく
今年十四になる兄の
曇った独り言が聞こえる
あなたは眠る
もし風があったならそのなかに
捨てたいささくれた指

あなたは眠っている
まぶたは眼球に寄り添うように
閉じられている
あなたの首に触れた瞬間、
あなたは触覚によって眼を醒ます
暗闇
眼を閉じて
いるのか開けているのかわからず

きなり谷ゆきこ
「通過」第一、二、三、四連

通過パッシング、ということばが頭をよぎる。あるいはなにかのふりをするパッシングこと。別のいい方でいうと、眠っている「あなた」の側を詩は通り過ぎているが、語り手たる「わたし」はあなたのふりをしている。自分自身を通過したいこころの動き、ただ通り過ぎて、見なかったふりをしたいという願いはかなわない。だからわたしはあなたという他者のふりをしてただそのしずかな寝所を通り過ぎる、と読める。

なぜひとは自らを通過したいのか。それは、わたし(たち)を直視することが、あるくるしさをもたらすからだ。もちろんそこには通過したい気持ちと、向き合いたい気持ちが、矛盾したまま同時に存在している。それは自分自身の「うしろから/暗い手を伸ばす/髪にさわる寸前をしずかに留めた」とえがかれている。

くるしさ、を閉塞感といいかえられるだろうか。詩はそれに具体的にかたちをあたえることはない。だがたとえば「幻想で腹を満たした女児らが/大行列をなす昼間」は、人間の業のあらゆる相が可視化されてしまう高度情報社会とそのなかでつながりを求めて飢餓感から逃れられない性の示唆があり、「壁のなかには眼がびっしりと詰まっている」風景がなにを指しているかは想像するにかたくない。

だがじつのところ、わたしたちはわたしたちの生を直視せざるをえないのだ。なぜなら眼球とは閉じることのできない器官であり、「まぶたは眼球に寄り添うように/閉じられている」と詩がかたっているように、たとえ眼を閉じたとしても、そこにはまぶたの裏側にある湿った暗闇を見つめることを強いられたまなざししかないからである。

生まれ変わったら
卵になりたい
ずっと
卵でありたい
生まれることを望まれ続ける存在
生まれ落ちる世界のことを知らない存在
しろくて
まるくて
すとんと
もろくて
中身はもちろん
低脂肪、高タンパク
ひとつだいたい30えん
やすいところではなんと10えん
それだけでいい
それだからいい

からつき七緒
「しょうらいのゆめ」前半

《千日詩路》編集部が位置する房総半島のスーパーでは卵を一パック九十七円(税別)で売っているところがある。それは詩のいう「やすいところ」であり、そこには都会と比べてあきらかな地域格差がある。

そんなことを思いながら詩を読むが、生活者からすれば卵はだれかに勝手に値段が付けられ、勝手に値札がつけられているものだ。それはわたしたちの存在自体にも付けられ、その労働時間はキャリア、生まれ、性差等の諸要素に基づいて数値に換算されている。便宜的にそうしなければ組織、共同体、社会を運用することができないからだ。わたしたちは自分たちの価格を自ら決めることはできない。それは詩が自らの価格を決めることができないことと同じである。

「しょうらいのゆめ」とは、そんな不可能な数値化をこばむ価値そのものをとりもどす夢と読める。「それだけでいい」のではなく、それだけが重要なのである。可能性の肉の塊である卵の契機は、ひとを便宜的に分類し管理し支配しようとするものにあらがうために準備されている。それはわたしたちすべてが知っている本邦の硬直した社会、だれしもが硬直していると知っているのに、そしてあらがったはずなのに、どうにもできず何十年もただ経過してしまった社会のことでもあるだろう。

そうした社会はひとをこわれやすく、もろい卵にしてしまう。それは表層的なことばの殻をまとわなければ生きてゆけないわたしたちの実存の前景であり、閉鎖的な言語空間でジャーゴンとミームの果てしない差分創出に逃避する現代人の場でもあるだろう。

詩は後半において、卵はやがては割られなければならないことを示唆する(「ぱりんと割れて/そとの世界の眩しさに/目も開けられないまま/オムレツになって/おいしくいただかれたかった」)。それは目を覚ませといっているようでも、目を覚ますことのむずかしさをかたっているようにもみえ、その姿勢は宙吊りになっている。ひとを「正しい」方向へみちびくことは詩の仕事ではない、という当たり前のことが当たり前のようにまもられていることにどこか安心する。

守るべきものとは、硬直した社会に反撃するつよさ、硬さではなく、卵のもろさそのものなのではないか。そんなことを詩はかたっているように読んだ。

“青” をどう describe表現 しますか。

青は空です。
空の青さです。
青いエアメールです。
封筒の右端に VIA AIRMAIL と書き記された、
ちょうど空の青さをしたエアメールです。
青いエアメールは確かにその青を飛んできています。
あなたの便りが西の空を渡り、
いやもしくは東の空を渡り、またきっとどこかの空を経由して
私の手のひらでその “青” となりました、ありがとう。
封を濡らすこの国の雨、
高鳴る気持ちを押し込めて開くとき、
あなたの若々しい文字、
目に滲む懐かしさが
青です。

佐藤麗華
「アイルランドの詩」前半、中盤

この詩はアイルランドのボイン渓谷のニューグレンジ遺跡群で書かれたとある。個人的なことをかたると、わたしは昔元英国領だった国の Grange Roadという通りに住んでいたことがあり(帝国とはいずれも外部に母国と同じものをつくりたがるものだ)、日本にいる知人たちとよく郵便のやりとりをした。封筒には必ず「Airmail」と書かねばならなかった。そうでないと船便で送られてしまい、到着まで一月から二月以上かかるからだ。

詩は表現できないものを見いだしたときの新鮮な驚きについてかたる。それは人生においてたくさんえられることのない類いの経験のはずだが、それをひとに伝えることのむずかしさが、「Via Airmail」という単語の挿入によってあらわされていると読める。それは遅延や誤配の可能性を示唆し、書き手が見いだしたものを第三者にたやすく伝えることはできず、さらにそれはいかなる経路をたどるべきものなのかも事前に知ることはできない(「西の空を渡り、/いやもしくは東の空を渡り」)。

わたしがいちばんおもしろく思ったのは、おそらくはそのうつくしい風景は語り手の旅先で見いだされたものであるはずだが、それは同時に、海の果てから届いた封書の内側を契機として発見されていることがえがかれていることだった。そこには親密な関係にあるだれかの存在が示唆されているようにも読めるが、わたしはそれは異邦の地で母国語をあらたに発見した喜びが自分のもとを訪れた親密な相手からの手紙になぞらえられているのではないかと感じた。書く方法とは describe するだけではなく、あたりまえのように手元にあることばからあらたになにかを発見してゆく、再読リ・リードすることなのだろう。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、雨澤佑太郎の「死んだ人があなたを産んでくれた」を挙げたい。

綺麗だ、綺麗でしょう、綺麗でした、はそれぞれ現在、問い、過去を指し示し、それぞれに納得がいかない意識をあらわしていると読める。いま自分が生まれて生きている/生きることを強いられている時代状況に納得できないというこころの動きに、わたしたちは共感する。それが「死んだ人があなたを産んでくれた」とかたられている。

死人からは死人しか生まれないかもしれないのだが、わたしは『マクベス』において、無敵のマクベスを殺したのは死んだ母の腹をすぐに割いて生まれた赤子だったことを思い出している。すべてが滅びる前に、割かれた傷を抜け出て(そしてそれは母体を殺すことでもある)、わたしたちはわたしたち自らを生まれせしめる必要があるのかもしれない。

「サイレンのことをみんなが忘れてしまうまで、サイレンは鳴らない」は非常に印象的な一行。それが第一連でかたられなかった「未来」なのだろう。つめたく硬質で、グロテスクな光景をえがく詩連たち。「いっさいが手遅れになったあとのいまここに」とかたる詩には、いかなるいつわりの希望もない。魅力的な詩だ。

死んだ人があなたを産んでくれた。光の交差する一点が遥か遠くに在って、何の必然性もない空洞にあなたは生まれた。「海が綺麗だ。海が綺麗でしょう。海が綺麗でした。」手紙はそこで終わっている。回線は絶え間なく増殖する、誰かの過去を引用することでしか話せなかったすべての人々を慰めようとして。しかしそれは沈んでいる物を拾い上げるように上手くはいかない。祈りのない日々の空無と歴史性の欠如に病んで、個々人があまりにも深く孤絶してしまっているから。火が消えようとしている、誰にも惜しまれることなく。

死んだ人があなたを産んでくれた。ここに、いっさいが手遅れになったあとのいまここに。あなたは出会う。共生感の欠けた、生きるに値しない、堕胎された IF で埋め尽くされようとしている世界の、青みがかった膜の向こうから色褪せた光のなだれてくる無感動な朝、自殺の機会に包囲された昼、約束された幻滅の真夜中に、あなたは出会う。細い手足、浮き出た肋骨、薄い肩、硬い乳房、あなたはそれらにぎこちない愛撫を加える。何も見てはいない黒い瞳が、傷口のように大きくひらき、殺風景な現実の一部分を切り取ろうとする。

死んだ人があなたを産んでくれた。あなたは質問でもなければ答えでもなかった。あなたは明らかに何らかの過程として存在していたが、それすら意味のあるものかどうかは不明瞭だった。いつも日記の校正ばかりをしていたので真っ赤になった指を思い出す、校正を繰り返すうちに収集のつかなくなった日記は結局捨ててしまった。今日は散歩に行った、今日は気持ちの悪い虫を踏んだ、今日は難しくもない本を読んだ、日記などはじめからそれだけの文章で済ませておけば楽だったのにと悔やむ。サイレンはまだ鳴らない。サイレンのことをみんなが忘れてしまうまで、サイレンは鳴らない。

雨澤佑太郎
「死んだ人があなたを産んでくれた」

◇ ◇ ◇

他、高安海翔の「Birds」連作が興味を引いた。その詩連はすべて百四十文字なので、ツイッターやソーシャルメディア掲載に一般的な制限文字数で統一したのだと思う。それは矩形の制限を文体に強いることによって想像力に圧力をかけ、やがては噴出せしめる試みだと読んだのだが、おそらくもっと短いほうがその圧力は高まり、意図する効果がえられるように感じた。

(2018年12月11日)


詩誌『早稲田詩人 Vol. 39』詩誌情報
詩誌 早稲田詩人
出版 早稲田大学詩人会
号数 29号(Vol.29)
発行 2018年11月

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