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藍川外内美『あなたが風に吹かれて立っている時』

――風は運ぶ、けして渡ることのできない橋をこえて。

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

本日は木曜日。今日わたしたちが読む詩集は藍川外内美の『あなたが風に吹かれて立っている時』(土曜美術社出版販売)。藍川は一九六七年生まれ、東京都立川市出身。二〇一二年期『詩と思想』現代詩の新鋭選出(なお、同年の新鋭出身者には鹿又夏実がいる)。本書は詩二十三編を九十四頁に収める。

さて、それでは読みはじめてみよう。「橋を渡る」から。

大河沿いのスーパーマーケットで買い物をする
一つずつ綺麗に梱包された土の臭いのしないじゃがいもを
カートの上の籠に 躊躇しながら入れる

切り裂いた魚の死骸や 牛の死骸を眺めながら
100グラムの値段の理由がよく分からない
隣の夫人と 相対的価値観の境界線もあやふやである
ワインとフランスパンも買っていく
買い物を済ませ 大河に向き合う

大河は向き合わなければならないような面持ちであえる
コーヒー色の濁流が轟々と流れている 眺めていると
水の音以外が消え 水脈に身を投じてみたくなる
身を投じる代わりに牛の肉片を投じてみようか
と 案じ しかし
死んだ牛など河に投げ入れても一つも面白くないと気づき
じゃがいもを大河に投げ入れてみる

じゃがいもはあっけなく流れていった
私の身代わりとなったじゃがいもが自然に還ることの重みと
牛の死骸が自然に還ることの重みにちがいがあるとするなら
いったい 誰が決めるのだろう

「橋を渡る」第一、二、三、四連

個人的なことからかたりはじめると、わたしの育った島国には「スコール」というものがある。スコールは葡萄ほどの大粒の激しい雨が局所的に降るもので、文字通りバケツをひっくりかえしたような雨がほとんど前ぶれなく降る。

するとどうなるかというと、アスファルトの路面には雨水があふれ、たくさんの側溝から用水路へとその水がすべて一気に流れ込む。そのため島国の主な用水路の横幅はとても巨大につくられている。ふだんはほとんど水が流れていないが、ひとたび雨がふると、縁ぎりぎりまで増水し、そこには巨大な濁流が生まれるのだった。

詩のいう「大河」とは、そのようなものではないだろうか。ふだんはそこにはないが、あるときまたはなんらかの契機によってそこに見いだされるもの。ふだんは小さく、かくれていて、または存在していないもの。

なぜそう思うかというと、大河は「轟々と流れ」ることはない。どんなに雨が降っても、どんなに増水しても、ただ静かに、音もなく流れるのが大河である。だから藍川のいう大河は存在していない川、想像力によって見いだされるものと読める。おそらくはさほど大きくはない小川が「大河」となぞらえられているはずだ。

するとその橋を渡るとはどのような意味だろうか。いまそこにないもの、見いだされたもの、あらたにつくりだされたものを渡る。長い時間をかけて、仮象の橋を渡る。それはつまり引き伸ばされた時間を遡ることであり、記憶のなかにしか存在しないものをめぐる旅でもあるだろう。そこでは牛肉は「牛の死骸」に還り、また魚の切り身は「魚の死骸」へと、ほんらいの相へともどってゆく。

思いだされるものとはなにか。それはかたられない。なぜなら詩がかたろうとするのは思いだすことそのものであり、架橋するその行為そのものだからだ。藍川の詩集は、すでに存在しないものを思いだそうとする行為にかたちを与える作品集と読める。そうした作品を読むにあたっては、作者の私的事象に目を向けすぎないよう注意しなければならないことに留意しつつ、先に進んでみよう。


忘年会から帰るとハムスターが死んでいた
家の前にあるが家のものではない
桜の老木の下にそっと置いた
寒さのせいか小さく固く丸まったまま
幾日かそのままの姿であった
やがてどこからか小さな蟻が群がり
全身に無数の穴を開けた
目も穴になり 花の穴やら尻の穴やら
口やらが立体迷路となって 翌日
全身の毛が体から離れ 毛の玉となった
そのうち毛だけとなった
たんぽぽの種が そこで休んでいるみたいに

観察に飽きてしばらくした頃
思い出して見に行くと 無くなっていた
いったい何処から来て 何処へ行ったのだろう

地球の上を通り抜けて行った
数え切れない有機体は
宙の塵となり
螺旋を描いて 風下に舞う

「宙の塵」第一、二、三連

わたしも中学生の頃ハムスターを飼っていた。最後は喉を詰まらせ、わたしの手のなかで呼吸困難で死んだ。死体はスコールが降った後で柔らかくなった粘土質の土に埋めた。そんなことを思いだしつつ、死体は腐る、ということを思う。

いまのわたしが住む地方では、よくアスファルトや土の上で生き物が死んでいる。それらは靴やタイヤで踏まれ、腐り、あるいは乾き、粉々になって風に還る。それはわたしたちの確実に約束された将来におけるある日の姿でもある。詩はどこからともなくあらわれたハムスターの死骸についてかたる。それはわたしたちが大量の死が密集する空間に生きていることを想起させる。そこに冬にはいない蟻が群がるのは、くずれる死骸から黒い文字を拾い上げている書き手の姿がかさねられているのかもしれない。

生き物の死骸は立体構造、迷路になぞらえられる。それは文字が抽出され、記憶が排出されたあとの骨であり、ひとの遺骸であり、そこから旅立った「たんぽぽの種」としての毛玉はいつかどこかであらたな生を繁茂させるのだろう……ということを想像するが、第一連の「家の前にあるが家のものではない」をふたたび読み返すと、そうした祝福された輪廻の過程は否定されているように読める。

わたしたちが死を経験することができない(他人の死だけは確実である)こと、つまり生についてわたしたちが知りえない絶対的な無知がそこにあるのだと詩はかたっているのだと感じる。読者もまた「いったい何処から来て 何処へ行ったのだろう」と、うそぶくほかない。

くるくる回る 蜘蛛の糸に繋がれた一枚の葉は
空の雲の透き間から提げられている
石神井池のほとりを散歩している私の目の前にそれは
何かを言わんとして立ち現れ 厳然とする

蓮と睡蓮の区別がつかぬ私に
見分け方を教えてくれた人がいたが
それも忘れてしまった

両親は 八つの時に離婚しているが
私の瞳は父に似ている
爪の形は母に似ている

螺旋は旋回しながら回旋する

もう 私は知っている
すべての人と いつか別れなければならないことを
(愛しているといないとにかかわらず)
私の肉体もいつか風化し

「螺旋は旋回しながら回旋する」第一〜五連

わたしも今回初めて知ったが、「回旋」とは、産道の形に合わせて赤子が向きを変えて回転しながら降りてくることを指す医学単語でもあるそうだ。

第一連。「厳然とする」という一行が印象深い。これはなにによるものだろうか? それが作者の感じたことだと解釈するならば、なにが厳然としているのだろうか。わたしが思ったのは、林檎が落ちることにはなんらかの力のはたらきがあり、そこに重力というものを創出した学者のように、詩は蜘蛛の糸に繋がれた一枚の葉が回転、、している光景を目撃し、そこから重大なものを見いだしたのではということだった。

その回転とは、右回転と左回転が同時に存在するような螺旋のことである。あるいは、生まれることと死ぬことが同時に成立しうるような場のことでもある。ひとは回転しながら生まれてくる、そして最後は燃やされ、あるいは土塊に還り、塵となって風に回転しながら空へ還る。

だがそのふたつは蓮と睡蓮の違い程度の差しかないだけではなく、忘れてしまってもよい程度の違いであり、それを見分ける必要もない。たとえば、父と母の愛情の大きさのように。それらを比較したりする意味などないのだ。

生とは相反するふたつの回転がからまりあう螺旋でもあり、からまりあってほどけない宿命でもあり、ある運動のかたちをとった切り分けることのできない様々な感情の総体である。そんな気づきのしゅんかんに詩はかたちを与えている。こういってよければ、それは赦しと救いの光景だったのかもしれない。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、表題詩「あなたが風に吹かれて立っている時」を挙げたい(次点は、「蛇女」)。

受け継がれるものを風は運ぶ。子供はいつしか親になり、自分もまた同じように子供をえる。だがかれらの人生はほんの少しだけずれていて、家族はだれしもがどうしようもなくひとりぼっちで、そのずれの間を風がやさしく吹いているのだ。

あなたが風に吹かれて立っている
スカートを抑えて
前髪を揺らして
遊んでくれない と頬を膨らませ
日曜日に口紅と香水をつけ
ベランダで洗濯物を干す私を
上目遣いに睨みつけ
父親のいないあなたが 風に吹かれている
冷蔵庫には お昼のスパゲティーと
夕食の中華丼を入れてあるから
電子レンジで温めて食べなさい
サラダとオレンジもありますよ
子供だけで夕食を食べる日のメニューを
いつもカレーライスにしていたら
娘はカレーを食べると吐くようになった
そのうちスパゲティーも
食べられなくなるかもしれない
先週の日曜は仕事の研修
来週はきっと 一緒にプールに行くから

赦して
とは言わない
その替わり
そろそろ 母を赦してあげよう
私が風に 吹かれていた頃の

「あなたが風に吹かれて立っている時」全文

(2018年11月29日)


藍川外内美『あなたが風に吹かれて立っている時』書籍情報
あなたが風に吹かれて立っている時
出版 土曜美術社出版販売
発行 2012年
著者 藍川外内美(あいかわ となみ)
価格 1800円+税
新刊 honto / 古本 Amazon

「藍川外内美『あなたが風に吹かれて立っている時』」への1件のフィードバック

  1. そっかー。そういう意味だったのかー、と唸りました。
    読んでくださり、ありがとうございます。

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