書評イレギュラーズ:中島みゆき『中島みゆき全歌集 2004-2015』

――うばわれたあのひとの空虚に水みちる。

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本日は木曜日。三連休前である。さて、今日わたしたちが読むのは詩集とは少し異なり、歌手・中島みゆきの歌詞をまとめた『中島みゆき全歌集 2004-2015』。すでに説明する必要もないと思うが、中島は一九五二年北海道生まれ。一九七五年『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。その後のキャリアは割愛するが、日本を代表する歌手のひとりであり、アジアを中心に絶大な人気を誇る世界の歌姫でもある。

個人的な話も少し。先週、わたしが所属する詩のグループにおいて合評会とカラオケ大会があった。そこで中島みゆきを持ち歌としている同世代の詩人がいたのだが、それを聴いているうちに、かつて自分がアジアに住んでいた時、父がたまにレコードをだだっ広い居間で聴いていたことをふいに思いだした。わたし本人はといえば、中島の熱心なファンであったことはなかったかもしれない。だが当時その家で視聴した、とある日本のドラマの主題歌を中島が歌っていたことをよく記憶している。

忘れないと誓ったあの日の夏は遠く
寄せて返す波にもあの日の風はいない

ああ二人で点した
あの部屋のキャンドルは
光あふれる時代の中で
どこへはかなく消えていったのか

恋しさを聞かせてよ
惜しみなく聞かせてよ
他人じゃないなら なおさら なおさら

浅い眠りにさすらいながら
街はほんとは愛を叫んでいる

風の中にふるえて瞬く星のように
あやまちかもしれないと哀しく迷っていた

ああ二人気づかない
失ってみるまでは
誰が一番ほしい人なのか
何が一番つらいことなのか

恋しさはこわれもの
せつなさはこわれもの

他人じゃないなら なおさら なおさら

浅い眠りにさすらいながら
街はほんとは愛を叫んでいる

「浅い眠り」
中島みゆき、1992年

いま動画サイトで検索して「浅い眠り」を二十年ぶりぐらいに聴いて、この文章を書いているのだが、当時の記憶が強烈にフラッシュバックしている。音楽のこうした記憶に紐づいた喚起力はすさまじいものだ。

音楽を止め、あらためて文字だけを読んでみて、中島の詩はおもしろいと思う。

この世には「失ってみるまで」わからないものしかない。なぜなら、失ったことによって、失われたものの価値が事後的、、、に創出されるからだ。最初から大切なものなどない。なぜならそれはただそこにいつもあるだけの平凡なものに過ぎないからである。そして中島は、いや、彼女の詩は、それを知っている。

さて、それでは本のほうを読んでみよう。「宙船そらふね」から。

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

「宙舟」第一、二、三連
2006年

小さな船が荒海または地上をすすんでいる。それは大河に放置されて半ば沈みかけている小舟を想像させるが、その目的地は「地平の果て/水平の果て」であり、そこに到達したときにはじめて、船はほんらいの力を取り戻し、空を飛ぶことができるのだと詩はかたる。

だがそれは願いを叶えるためには自殺するほかないといっているようにもみえる。また、世の中は「おまえが消えて喜ぶ者」たちばかりが集まっていて、かれらがオールという権力をひたすらあさましく奪いあっている場にほかならない。すると中島が「おまえの手で漕いでゆけ」というとき、そこでは不可能なことが歌われており、中島はそれを知っている、、、、、

いかなる過去の経験によって中島がそう考えるに至ったかは本人しかかたりえないことだが、彼女の人間性に対するその徹底的な洞察が、その詩歌の強烈な叙情性を生み出しているのだろうということを想像してみる。中島は、あまりにもあきらかに遍在するこの世の絶望について、絶望ということばをいっさいかたらずに歌う歌手なのだ。

水を点しましょう あなたの為
水を点しましょう 迷わぬ為
あなたの影と はぐれぬ為に
照らしましょうあなたを 水の灯りで
照らしましょう行く手を 水の灯りで
火を汲みあげましょう あなたの為
火を汲みあげましょう 汚れぬ為
あなたの影が 汚れぬ為に
流しましょうあなたを 星のしずくで
流しましょう行く手を 星のしずくで

「水を点して火を汲んで」全文
2004年

水が光を放っている。水に光を点すのは語り手で、それは「あなたの為」であり、迷わぬためなのだが、よく読むとこのあなたは「影」に過ぎない。この詩のあなたはどこにいるのかという問いがあると思う。ひょっとしたらこの「あなた」はすでに存在せず、語り手の記憶のなかにしかいない影のような存在なのかもしれない。

その不在のあなた、ここにはいないが影だけがそばにずっといるあなたのために、想像力によって水に火が灯され、火が水として汲まれる。不可能は可能にはならない。だが、不可能たることがあまりにもあきらかであるがゆえの朗らかさがここにもある。それはかなしさ、くるしさといったものとは無縁のなにかであり、ほとんどひとを鼓舞するようなたぐいの絶望であるといえる。それは「影」となったあなたをいつくしむ手付きによるものなのかもしれない――ひょっとしたら「あなた」よりも影のほうが、いや影だからこそ大事にされているのかもしれない、ということをちらりと思わないこともないけれども。

僕たちは走って来た 僕たちは急いで来た
水の線路を遡り 旅した水を遡り
我が祖国へ 我が祖国へ
この坂を行けば 帰り着く筈
なのに 覚えのない駅が聳えている
線路のない駅が聳えている

僕たちは覚えている 無意識に覚えている
水の線路を遡れ 紛うかたなく遡れ
我が祖国へ 我が祖国へ
この坂を行けば 帰り着く筈
なのに 覚えのない駅が聳えている
線路のない駅が聳えている

この坂を行けば 帰り着く筈
なのに 覚えのない駅が聳えている
線路のない駅が聳えている
この坂を行けば 帰り着く筈
この坂を行けば 帰り着く筈
この坂を行けば

「水の線路」全文
2004年

ふたたび水がかたられる。水、は、かたちのないもの。それはかたちのない祖国へ続いていく、流れを遡る不可能な水であり、それが重力をさかのぼる「坂」とも呼ばれている。過去へと遡る水と読める。「祖国」がなにを指すのかについてだが、鉄道と失われた国のイメージからは、わたしは満州国と満鉄を想像したが、単に時間と空間の果てにある遠いふるさとを示すのかもしれない。

記憶の水を遡って過去へ向かう語り手は、そこに「覚えのない駅が聳えている」のを見る。それは「線路のない駅」でもある。記憶に混入し、別の姿をとっているなにか。記憶の道筋に突然介入してくるもの……。不穏で不条理な空気が漂い、やはりここでもふるさとに辿りつくことができない不能性が歌われていると思う。

語り手がたどり着けない理由は説明されないが、もし読み解くのであれば、水の道は第三者に奪われたのではないだろうか。それによってふるさとへの経路はこわれ、過去はえいえんに取り戻せぬものになった。それはおそらくは暴力によるものであることが、「駅」や「祖国」の切り裂くようなKの音が示唆しているのではないだろうかと思える。それは本邦の歴史をめぐる暴力の示唆でもあるかもしれない。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、かなり数が多く悩んだが、「ほうやれほ」を。
歌で聴くとまた印象が異なりそうだが、今回は文字のみを読んで選んだ。

これは「山椒大夫」の安寿と厨子王の物語を元に中島がアレンジを加えたものだと思うが、元は息子と娘を失ったと思っている老母が子供たちを思って歌う歌である。世界のどうにもならぬ残酷さ、繰り返される不幸、ふりまわされる無力さ、悔恨……。そして最終連に突然あらわれる鐘の音が印象に残る。

百九番目の鐘の音が鳴り始めるとどうなるのか。鳴り止まなければどうなるのか? それはだれにもわからない。だが、おそらく鐘はすでに鳴り始め、いまも鳴っているのではないだろうか。詩は、だれにも聞こえない鐘を鳴らさねばならないのだ。

ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ
ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ
手放した我が子 攫われた我が子
替りたや我が身 許せず我が身
ここに無い我が子 売られた我が子
ここに在る我が身 許せず我が身
ほうやれほ ほうやれほ 安寿恋しや 疾う逃げよ
ほうやれほ ほうやれほ 厨子王恋しや 疾う逃げよ
ほうやれほ ほうやれほ 鳥も生もあるものなれば
ほうやれほ ほうやれほ 疾う疾う逃げよ 逐わずとも

悔やまれてならぬ 悔やまれてならぬ
心ある限り 悔やまれてならぬ
ひとでなし我が身 ひとでなし我が身
ここに在る我が身 ひとでなし我が身
ほうやれほ ほうやれほ 安寿恋しや 疾う逃げよ
ほうやれほ ほうやれほ 厨子王恋しや 疾う逃げよ
ほうやれほ ほうやれほ 鳥も生もあるものなれば
ほうやれほ ほうやれほ 疾う疾う逃げよ 逐わずとも
悔やまれてならぬ 悔やまれてならぬ
心ある限り 悔やまれてならぬ
恋しや我が兄 逐われたる我が兄
替りたや我が身 許せず我が身
ここに無い我が兄 逐われたる我が兄
ここに在る我が身 許せず我が身
ほうやれほ ほうやれほ 私の罪は水の底
ほうやれほ ほうやれほ 許されまいぞ消せまいぞ
ほうやれほ ほうやれほ
ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ
ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ
(百九番目の鐘の音が 鳴り始めたならどうなろうか
百九番目の鐘の音が 鳴り止まなければどうなろうか)
ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ ほうやれほ
(百九番目の鐘の音が 鳴り始めたならどうなろうか
百九番目の鐘の音が 鳴り止まなければどうなろうか)
ほうやれほ
(百九番目の鐘の音が)

「ほうやれほ」全文
2008年

(2018年11月22日)


中島みゆき『中島みゆき全歌集 2004-2015』書籍情報
中島みゆき全歌集 2004-2015
出版 朝日新聞出版
発行 2015年
著者 中島みゆき(なかじま みゆき)
価格 1600円+税
新刊 honto / 古本 Amazon

「書評イレギュラーズ:中島みゆき『中島みゆき全歌集 2004-2015』」への2件のフィードバック

  1. 「おまえが消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな」って、
    西郷隆盛みたいに、三島由紀夫みたいに、よたかみたいに、命がけで書けってことですかね。
    「浅い眠り」から26年も経っているなんて・・・、
    時間が足りなくなって来ました。せっせと書きませう。

  2. 「浅い眠り」は好きな曲です。

    三島は下手な介錯で苦痛にみちた死を迎え、中上は無茶な生活を続けて自殺のようなガン病死を遂げましたね。命がけで書いてしまうと作家はわりとはやく死んでしまうので、努力せず、頑張らず、この退屈な時代を長く生きのびつつ、書くべきものにかたちを与えてゆきましょう(編集主幹)

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