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田原『夢の蛇』

――一夜の前に、うしなうものを愛する。

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

本日は火曜日。今日わたしたちが読む詩集は田原ティエン・ユアンの『夢の蛇』。田原は一九六五年中国河南省生まれ、谷川俊太郎を中国語に翻訳して紹介した翻訳者としても知られ、中国語だけではなく日本語でも詩作を行う。二〇〇九年発行の第二詩集『石の記憶』にて中国人として初めてのH氏賞を受賞。本書は二〇一五年に発行された詩集で、二十五編を百三十頁に収める。

さて、それでは読みはじめてみよう。

浮浪者――今になってもまだ
この言葉はしばしば
私の記憶の中で
オーロラのようにきらめく

それらの年 私はとても若く
壮健な馬のようだった
時代という見えない鞭に
荒野へ追い払われた

荒野には群生する野草のほかにも
禿山も幾つかあった
それらはいつも私の
遠望する視線をさえぎり止め
私の郷愁を荒野に
さまよわせたが
当然 暴風もさえぎり
漂泊する安らぎを与えてくれた

南向きの私がしばらく住んだ家は
今もよく私の夢に現れる
依然として赤い煉瓦と木の窓
吹きさらしと狼の遠吠えを
独りぼっちで寂しく我慢する

その家の前で
偶然に浮浪者と出会った
彼は山の東から来たという
顔中ごわごわの髭だらけで
年はいくつなのか
見分けがつかなかった

ある日 私たちは親しくなった
彼は妖怪の潜伏する湖から
獲ったという鮟鱇をくれ
小さな声で私に告げた
自分は逃亡犯だと

彼のまなざしに潜んだ恐怖を思い出すと
たちまち世界の恐ろしい一面が見える
彼がどんな罪を犯したのかは
私には分からない

「浮浪者」第一〜七連

浮浪者は「一定の住居や職をもたず、方々をうろつく者」だが、いまは「ホームレス」と呼ばれることが多いと思う。個人的にこのことばで思い出すのは、一九九八年に新宿地下街のホームレスたちのテントで火災が発生した時のことだ。当時わたしはちょうど新宿にいて、鎮火された直後の現場を目撃していた。

そのときのことを思うと、落ち着かない気持ちになる。それは自分とかれらを隔てる線がじつのところきわめて薄く、自分が生きている側に立っているのはたんなる偶然にすぎないということを知っているからだ。ひとは簡単に死に、生き、堕落し、あるときは立ち上がる。だがそこに意思はほとんど介在できず、理に従うというほかない。たまたま火事にあったかれらのように、それを事前に知ることはできない。

詩では人生を漂泊する登場人物たる語り手のもとに浮浪者があらわれる。浮浪者は東の山を超えてやってきたといい、その姿が荒野に追いはらわれた書き手とかさねられる。浮浪者の顔は髭で覆われ、年齢はわからない。語り手からほんの少しずれた場所にいるかれ自身の姿になぞらえるために、その外見は隠されていなければならないと読める。

わたしは一度だけ広東にある中国の友人の実家に遊びにいったことがあるが、バスでの移動時に大陸の広さに圧倒された。島嶼の集合体である本邦とはなにもかも異なり、物事の間には大きな距離があり、隙間の存在をおおらかに許容する雰囲気があった。本邦ではどこにいても土地には意味がへばりついているが、そうでない場もあることは新鮮な驚きだった。この詩ではそんな隙間が「荒野」と呼ばれている。それは風が吹きつけ、狼が跋扈し、ひとが孤立する(望んで孤立できる)空間でもあるのだろう。

第六連。なんらかの罪が告白されることが、湖から釣りあげたらしき巨大な鮟鱇になぞらえられる(わたしは見たことがないが、淡水にも鮟鱇はいるのだろうか?)。「妖怪の潜伏する湖」に棲む生き物を釣りあげることは勇敢なことだという示唆があるが、それは自分が犯した罪を認めることの勇気とかさねられているのかもしれない。

第七連。なぜ浮浪者は恐怖したのか。あるいは、どのような罪であったのか。どちらもかたられていない。浮浪者はおそらく語り手に詳細を伝えなかったのだろうとも想像する。かれは加害者であったのかもしれないし、あるいは自分に責のない政治犯かなにかだったのかもしれない。いずれの読みもありうるが「世界の恐ろしい一面」とはなにか考えたとき、かれは加害者に仕立て上げられた犠牲者なのだろうと読んだ。

だれにでも、、、、、偶然起きうるなにかによって、浮浪者は逃亡せざるを得なかった、そしてそのことをだれにもわかってもらえなかったのだろう。詩はそれを自分の問題としてとらえている。まなざしの恐怖はそうした現実に畏怖する詩人のものだと思う。

私は緩やかな坂を登っていった
力を使い果たし
白髪が伸びてくる頃になって やっと
永遠に登り着くことはない
と分かった

すでに天国に身を置いているのかどうか分からなかった
人の世のことはとっくに後ろに振り捨てた
慣れ親しんだ声は白い煙となって揺らめきのぼり
魚たちの目は大きな川で星々となった

天国が唯一の来世ではない
踊り子が見ず知らずの老人を囲んで踊るが
その老人の左手にはストーブの炎が握られ
右手は氷のような剣を
しっかりと握りしめている

その眼の真正面の広間には
押し切られた人の頭が
端座している
香のかおりを帯びた煙が
祭壇から出てくる

神秘の銀河は老人のすぐ後ろで
水音を立てて星の死体を流している
それらは遥かな桃源郷に
埋葬されるだろう
星たちは死んだ
死んだ星たちは
まだ光を放っている

銀河と老人の間で
身の置き所がなかった
私が口を開いて話すと 言葉は
すべて自分の歯でバラバラになった
ほのかに白い花の咲く
盆栽の前にやってきた
それは白い桜の花ではなく
杏の花でも梨の花でもなく
白い雲を使った作り物の
棉の実だった

「天国は」第一〜六連

木偏の「棉」は、綿にする前の木を指すそうだ。だがその綿は偽物であり、桜でもなく、杏でもなく、梨でもなく、白い雲を使った詰め物であることがかたられている。雲は水蒸気なので、かたちをかえた想像力と読むことができるだろうか。さかのぼると綿、花、歯、口。口からいずるものがこぼれていつしか花を咲かすと読める。それはひとは天国をどのように知りうるかという問いにつながるのかもしれない。もちろん、天国などはなく、そこには延々と人の世が坂の上にも下にもひろがるだけなのだが。

「天国が唯一の来世ではない」とかたる見ず知らずの老人と、老人を囲む踊り子たちが印象的な第三連。それでは代替的オルタネイトな来世とはどこだろうという問いがあると思うが、じつのところあるのは「この生」と「この死」だけであると、老人の前にころがる生首はかたっているようにみえる。老人の左手には炎、右手には氷があり、それはどこかひとの業を見つめる峻厳な不動明王の横顔と、明王が持つ剣と羂索(悪人を縛る縄)を思わせる。

第五連。星の死体がながれてゆく銀河は「老人のすぐ後ろ」に置かれている。銀河では星たちが死んだあともなお光を放っている。ところで、老人のすぐ後ろに銀河があるのならば、「銀河と老人の間で/身の置き所がなかった/私」とはどこで、だれだろうか。ここでは、星たちに混ざりあい星となることを拒否しつつ、やがて老いて老人になる未来を見ている「私」の悩みがかたられているのかもしれない。星はうつくしいが綿をつくることができず、口からことばを吐くこともできないからだ。

馬は一夜のうちに手綱から逃れる
道は一夜のうちに塞がれる
雪は一夜のうちに溶け去る
雲は一夜のうちに散り散りになる

旅人は一夜のうちにふるさとに帰る
理想は一夜のうちに実現する
港は一夜のうちに沈没船を呼び戻す
湖は一夜のうちにすっかり涸れる

バラは一夜のうちに花弁を残さず散らす
処女は一夜のうちに汚される
駱駝は一夜のうちに渇いて死ぬ
英雄は一夜のうちに疑いをかけられる

彷徨える亡霊は一夜のうちに安住の地に到る
星々は一夜のうちに雨粒となる
鬼火は一夜のうちに暗闇を征服する
荒地は一夜のうちに良田となる

池を一夜の星の光で溢れさせ
野生馬を一夜のうちに草原にたどりつかせ
女神を一夜のうちに人間界に下らせ
チューリップに一夜のうちに愛の箴言を花開かせ

一夜のうちに パンを飢える者の前に
一夜のうちに 失意の人を思い止まらせ
一夜のうちに 悪夢を風で吹き飛ばし
一夜のうちに あらゆる戦場を子供たちの楽園に変える

「一夜」全文

個人的なことをかたると、わたしは最近小さな子供の事故死について、以前よりも注意深くそれぞれの事例に関する記事を読み込むようになった。どれも痛ましいが、よく読んでみるとほんとうに親がとても想定しないような「まさか」が重なって、簡単に小さな子供も死んでしまうことがわかる。それは一夜またはわずか数分でいつでもわたしたちに起こりうるものなのだということを思う。わたしたちは偶然という悪魔につねに翻弄されている。

最終連。かたられているのは希望だろうか。偶然の積みかさねによって生じる不幸(それぞれの行は貧困、絶望、災害、戦争に対応しているのだろう)を止めることはだれにもできないが、起きてしまったものに事後的に取り組むことは可能だと詩はかたっている。それはいつも遅れてやってくる事後的な生を生きるほかないわたしたちの姿をあらわしているはずだ。

それぞれの連では不幸なできごと、良い出来事が繰り返しかたられるが、いかにしてそれが成し遂げられたかはかたられない。それは「起きてしまった」ことしかわたしたちが知りえないからで、一夜の前にうしなうものを愛することはできないからだ。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、「夢の蛇」を挙げたい。
ベルトを解き放つとき、蛇もまた放たれる。山の大樹は雷によって去勢されるが、まだ生きており、蛇はかならずもどってくることが示唆されている。蛇は垂れ下がる半島の穴の中で眠っているだけで、ひととして生きる夢を見ているのかもしれない。

あなたのベルトが蛇になって
山腹にうねうねするのを夢に見た
ごつごつとした樹は
樹冠を雷に削りとられたようだった

梢のない樹の幹は
まだ生きていた
広々とした水を隔てて
山の東側に立ち
昇る月を引っ張っていた

海につながる麓のその道を
私はまだ通ったことがなかった
両側に生長する海の樹は
ひそかに四十の年輪を育てたが
まだ実をつけたことがなかった
つけたのは真冬に開花して
雪よりも白くて軽い その花びらだけ
花が散り 雪が溶けたあとになってから
春はようやくやってきた

半島が野草の緑に覆われたあと
蛇はやっと深い穴の口から這い出た
その長い冬眠は
昼夜の区別をせず
死の色と文字の叫びを夢見た
孤独の形とすすり泣く音色を夢見た

「夢の蛇」第一〜四連

(2018年11月20日)


田原『夢の蛇』書籍情報
夢の蛇
出版 思潮社
発行 2015年
著者 田原(ティエン・ユアン)
価格 2200円+税
新刊 honto / 古本 Amazon

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