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田中さとみ『ひとりごとの翁』

――仮面をとれば、わたしたちはどこにもいない。

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

本日は月曜日。今日わたしたちが読む詩集は田中さとみの『ひとりごとの翁』。詩集に略歴は未記載だが、本書が第一詩集と思われる。題名から読者が思うことは、おそらく「なぜ翁なのか」ということだと思うが、詩集を読むうちにその答が見つかるかもしれない。本詩集は、それぞれが数頁にわたるやや長めの詩十七編を百五十六頁に納める。

それでは読みはじめてみよう。「富士の頭」から。

愛すべきは小学生

わたしの前を歩いていた小学生が
石垣にいたヘビの尻尾を素早く掴むと
アスファルトに頭を何度も打ち付けては
無邪気に、こころを浮かせていた

空はぞくぞくするほど青くて

ヘビの
うろこ

引き剥がされて
アスファルトに零れ落ちる
風に吹かれれば
空に呼ばれ
光は美しいものを求める
かみなりさまが、一瞬、空を駆け抜けると
閃光走り
わたしの息と目のおくを混濁させて
生命と言ってみれば簡単なモノ
白濁していった
透けていた琥珀色は白濁し
うろこは密やかにまぼろしへと引き伸ばされていく
瞬けば、さくらいろ、さくら
さくらへ

わたしの頭上をさくらが舞う
ひとつ、ふたつと笑うように舞っては
永遠にわたしの前を掠めていく

ひらひら 舞えよ 歌えよ

耄碌しろ

ああ、富士の頭
さくらに並んでようやくおまえの頭が見えた

おまえの頭には女がいる

雪の犇めくひき割かれた白のなか
七号目あたりだろうか
小賢しい
女が彷徨っている
女は物見遊山か死ににでも来たのか誰かを追ってきたのか
それとも死人なのか
分からないが
雪の中を彷徨っている

「富士の頭」(P74-P77 冒頭部分)

語り手であるわたしの「目の前」を歩いていたのは、先に生きた過去のわたしの後ろ姿と読める。生き物を遊戯のためだけに殺す様子と、それをただ見つめる空が「ぞくぞくする」ほど青かった、というのはだれしもが身に覚えがある残酷な光景だ。それは生き物についてのみではなく社会のありとあらゆる場所で繰り広げられる愉しみのかたちのひとつである。そうした残酷な行為を、堂々となんら悪びれることなく愉しめてしまう無邪気さ。それは愛すべきものである、と詩は宣言している。残酷さを残酷さと呼ぶ自意識から自由なるもの、それが小学生と呼ばれているとも読める。

たまたまそこにいたものを、素早く、掴んで、何度も打ち、殺す(それは「こころを浮かせる」ためだ)。頭が砕かれ、ヘビから剥がれ落ちた鱗が、さくらの花びらへと変化してゆく。暴力によってくだかれたものが、いつのまにか美しい風景へと昇華させられていく。それはうつくしさのまったく感じられない倫理的にきわめて醜悪な在りようを指し示すが、そうしたものが富士(山)とかさねられてゆく。そしてそれはやはり愛すべきものなのだ、というどこか暗さを増した声がきこえる。

詩は、暴力の愉しさを真正面から見つめていた眼差しについてかたる。それは小学生と呼ばれているものだと読めるが、その眼差しは突然の雷によって「白濁」させられたことをきっかけに、見えていたものが見えなくなることが示唆される。暴力はまぼろしへと引き伸ばされ、美的なものへ変化させられる。そうした構造に対する諦念が、その暗さを引き寄せている、と読める。

殺されたヘビの頭は富士の山頂とかさねられ、そこに女が配置される。殺されたヘビの頭、そして富士が示唆しているものはあきらかだと思うが、それについて直接的にかたることは詩のおもしろさを狭めることにもなるかもしれない。

さくらの耐え難いうつくしさを前に、「耄碌しろ」と詩はかたる。とても好きな行である。

そのときだ

丸太であたまをいきおいよく殴りつけろ

卍にくずおれたっていい

更地を奏でる おと 聞いて

ひきあてる

とおりすがりの 爆笑 天使 とも言えようか
腸と石と姫 ひとつになる
ヒズミか
脇下から血が噴き上がり
どんどと
火山。
目をそらすな
産声か
盥から声がひびくほどの 闘いであり
乖離する 障害の石
またの名をともだち
むりやりに肉体に顔を刻みつけられた
ごく彩色の自動販売機
ほどの轟音あげて
丸太の重みは何百何千何万ものえいえんの魚だ
感じながら
おもわず ほんとうに おもわず あおむいた

(しんでも いきても たまるもんか)

ひとりごとの翁がともし火にそって歩いている。落ち葉が赤銅色になっていく。ふみつぶすとこわれた。そっと、しずかに水滴がしみて、かくじつにこわれていく。畑のよこにあるぼうくう壕の穴に立てかけておいた板はペンキも剥げて(だからわたしは石を積み上げて蓋をしておいた)ぼろぼろとこわれていくこえをあげている。もしくは、せんぼうのこえでもある。みえないところから鳥が鳴いている。山から切通しがめくれあがりひとりごとの翁がそのなかへと入っていく。すすきは月輪のような穂を光らせかいがいしく傾いでいく。

これはだれの思い出か。

ひとりごとの翁をしらぬまに追いかけていた。
はるかをすくってみたかった。
山から おと がする。

川がとうとうとながれて
あずきあらいのおととてするだろう
川がとうとうとながれて
かわうそがふてぶてしく鏡もちを投げ入れる
ふゆの雨が打てば湯気あがり
虹のかんしょくがなつかしくなる
吹き上げろ
七色のげんえい
ひとりごとの翁が川をながれてやってくる
とうとうと
川をわたる翁のすがた
ピアノのけん盤のようだ
みやびやかな手がひきあて
更地を奏でる
へいこうにどこまでもかけあがるおとは
らせんのせいちょうもよう
一オクターブ上がっては
はるか先にもおとといにもかけおりて
めぐる
だけど、どこにもおわりもはじまりもなく
まんなかだとおもっていたところは
はじまりだったりする
とうとうとひとりごとの翁流れ
追いかけて
いせえびがかさこそと這う
ことぶきを飲みこんだ
萌えいずる
わたしのあしもと
ほんの、つかのま、犬がかけてきた
ともだちだ
像がゆれ
ぼうれいの趣を残し
かすかなわたしの記憶をゆすぶると
(生きているともだちはみんな死んでしまった。もはや、おしゃべりはきみ、、だけだ)
あわい息がわたしからもれる

「ひとりごとの翁」(P10-P15 冒頭部分)

詩集の題名ともなった、十一頁にわたる長編詩。冒頭ではふたたび叩きつぶされる頭が登場している。「翁」は男の、老人の仮面。女性を想像させる筆名を帯びた詩の語り手は、その仮面をかぶったままひとりりごとをつぶやくように書き続ける。

「(しんでも いきても たまるもんか)」は、生きることも死ぬこともできない宙吊りになった存在を示唆し、それは女性性にも男性性にもたれかかることのないことばや文体を模索する一度きりの道行きをゆく詩人の決意表明とも読める。

それは「富士の頭」にならっていえば、目を白濁させることなく(「目をそらすな」)、ヘビを殺す愉しさ、それが美的なるものに昇華されてしまう醜悪さ、そのいずれも直視したうえで引き受けることでもあるだろうし、それを生身で引き受けることができないのであれば、仮面をかぶらせた仮象の存在たる翁にかたらせるほかないという結論の結果、えらばれた題名のようにもみえる。

そうした姿勢はどこかインターネットでかたりつづける幾億の匿名の語り手たちの姿を連想させもする。もちろん生身で引き受けることができないのは、実際にかたるべきことが、たとえば「富士」や「さくら」や「女」にたやすく回収されてしまうからだ。だから丸太で頭をいきおいよく殴りつけること、文体を文体たらしめる構造――そこには詩も含まれるが――を揺るがす横殴りの力が必要とされるのだろう。

だがそうした力をひとりごとというかたちでしかかたることができないこと、つまりほんらいはだれかに聞かせたいのだが、それを相手がいる様式においてはかたれず、相手そこにいない、、、かのような身振りでしかかたることができないということ、または仮面を強いられままでしかかたることができないこと。著者が詩において見出しているこうした困難は、むしろソーシャルメディアに拘束された生を強いられる一般読者にとって馴染みのものであると感じられる。

二〇一八年のわたしたちはどこにもおらず、ただ仮面だけがあるのだ。そうしたことに気付いてしまったとき、わたしたちは「ほんとうに おもわず あおむい」てしまうしかない。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、「人魚の肉」を。
(次点は、「わっか」)

わたしたちはつねにあたたかいものを失う。失わないために、だれかの死骸を我慢して口にする。その行為の醜悪さに耐えられずに嘔吐する。そして老いが始まる。その諦念の後の二連、老いが天井からしずかに降り注ぐくだりがとても印象に残る。

今朝、目を覚ますと喉がすごく乾いていて台所に行くと一片の肉塊を冷蔵庫からとりだしてミキサーにかけた。肉は粉々になって薄ピンクの液体へと変わっていく。すべてが溶かされるとコップに注いだ。人魚の肉。昨日、浜辺で人魚が網にかかっていた。漁師のおじいさんが捕まえた。みんな貪欲だから奪えるものは奪おうと、おばあさんや小さな子どもまでが人魚の腕や足、丸い小さな胸をパンみたいにちぎっては、家に持って帰っていく。じっと、その様子を見ていると、おじいさんがわたしにも肉をくれた。人魚の青緑の目玉が浮かぶ頬の切れ端。驚いたような強ばった表情していて、グロい。こんなのいらないって言った。なによりも気持ちわるいでしょ。こんなの食べられないよ。でも、おじいさんは、持って帰りなさい。人魚の肉は不老不死になるんだよと怖い顔して、わたしに押しつけた。不老不死。老いなくて死なない。いらないよ。でも、今朝になってすごく喉が乾くと欲しくなった。とにかく、死なない体が欲しくなった。冷蔵庫にいれなくても腐らない、ピカピカの百円玉みたいな体。ピンクの液体をだだだだだだーって飲み込んだ。においがすごくて血と肉というよりは垢だった。吐きそうになるけど勢いを止めはせずに流し込む。砂浜に足をつけるようなふわふわした心地。倒れそうになる。けれども、足もとはひんやりとして固まっている。引きずり込まれそうだ。ぬばたまの闇が目のなか引っ掻くようにまだらに浮かぶ。血が逆流する。うえって、口の中からあったかいのが溢れだしてきた。わたしからあったかいものがはなれていく。

しずかに
天井から白髪が音もなく舞ってきた。
抜け落ちていく。

キレイな垢みたいだ。

舞いあがる
白髪が
光りにあつまっていき
うずくまり
とおぼえにもにて
ちり

ただ、つもりつみ
それが、永遠なのだろうか

体がただの土みたいになっていく

ひとすじの煙りのにおいがした
白髪のにおいか
まいあがってはおちる

マルボロ マルドロール がいこつ

「わたしの がいこつ どこ行った!」

「人魚の肉」(P35-P37 冒頭部分)

(2018年11月5日)


田中さとみ『ひとりごとの翁』書籍情報
ひとりごとの翁
出版 思潮社
発行 2017年
著者 田中さとみ
価格 2500円+税
新刊 honto / 古本 Amazon

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