『対岸へと』アイキャッチ

佐峰存『対岸へと』

——それでも祝福されるべきひとつの朝。

◇ ◇ ◇

詩と書評のサイト《千日詩路》サウザント・ポエジーへようこそ。

本日は木曜日。今日わたしたちが取り上げる詩集は佐峰存の『対岸へと』。かれの略歴はわたしの知る限りほぼ非公開で、詩集に挟まれた小冊子の野村喜和夫の解説によれば「アメリカ滞在が長い/三十代」で、本書はその第一詩集。三章構成になっており、二十一編を百十二頁に収める。

さて、それでは読み始めてみよう。「帰路」から。

念じると液体が流れる
矢のように
冷たくなったのは 頭蓋の空
足下を囲う輪を 最初に描いたのは
誰だったか
獣のしなやかな弦
刺さりました

風を か細く貫きながら
星々は霞の中へと散っていった
使い古した角質との
合間を鳴らしていくのは
小さな火の点いた車
どこへと運び
あなたの織り込まれた
新たな模様を

車輪が叩いていく水面
鉄の中を転がる
半開きの眼
一様に沈黙を含んだ口
薄膜 赤が噛み続け
連呼する蛍光灯に 目鼻の渦

海藻 ふわりと整列し
アトリウム 風船のよう
到着せずに
揺れ下がったり
割れたのは白い文字 中央改札と
昇っていく 酩酊者の
こまやかな携帯画面 撒かれて
高まり 鏡となった空から
こぼれてくる 風が
砕けながら 掴み
損ねた手足が
生えているのだから
指だって

「帰路」第一、二、三、四連

個人的な話からはじめると、わたしは子供時代を外国の学校で過ごしたため、長いこと海外に住むということが母国語——あるいは外国語と化した母国語——にどのような影響をあたえるかということについて関心があり、そうした経歴がある作家には個人的な関心をもっている。

この詩では、語り手とおもわれるだれかが家に向かう時の様子がかたられているようだ。そのかたりかたはこれまでとりあげてきた詩集のいずれとも異なるもので、奇妙な魅力がある。それが外国生活によるものなのかどうかはさておき、それぞれの詩行はそれに後続する行によって解説されているようにみえる。その印象をあたえるものを考えてみたが、そこにはみえない関係代名詞(which または that is)が挟まれており、後から前へと意味が逆向きにかたられているからではないかと思えた。

詩を日本語でかたるときにはその要素を除去して再現することで、文体に軽快さ、飛び石のようなアクロバティックな読後感があたえられているという印象をもつ。行と行のつながり、その結び目を意図的に消去すること、そういう企図が感じられる。

たとえば第一連は次のように時間順を入れ替えてみることができるのではないか。

液体が流れる 頭蓋の空 足下を囲う輪 冷たくなったのは 最初に描いたのは 獣のしなやかな弦 念じると 矢のように 刺さりました

それぞれの断片の意味を繋ぎあわせる関係代名詞は、読者が創出しなければならない。その読みをうながしてゆくのがかれの詩であるとといえるのかもしれない。

ヘリコプターが
空を叩き崩している
拡大広告の尖った鱗と大きな睫毛
その笑みに繰り返し 飲み込まれた
あげくに見回せば
いたる所で釣り針の下ろされた
携帯電話の静かな底

街にはうっすらと 窒素が撒かれ
萎びた植物のネオンが充血する
波立つ交差点の丘陵に
銀色を散らすクラクション
通行人は擦れて
溶け合い 互いの中に隠蔽される

輪郭のない夜の大気へと分解され
道路は今にも浮き上がりそうだ
風に膨らんだ鳥たちのように
一斉に立ち昇る文字の光
頭上を巡ったまま
おりてこない

絶え間のない反射と共鳴の
谷底に 深まった一角で
遠くひらかれた鏡
露わになった あなたの眼が
小刻みに揺れている

「往来」全文

好きな詩。都市を行き交う光景だが、そうした画一化された光景はすでに地方でもおなじみのものだ。「釣り針の下ろされた/携帯電話の静かな底」は、片手にスーパーの袋、背中に子供を背負って暗いあぜ道を行く主婦の右手であり、カートに乗って移動する老人の泥に汚れた右手であり、青く疲労した都市生活者の清潔な右手でもあるはずだった。

電磁的ネットワークの水底からはじまる第一連は、二連で表層に到達してひとびとは無個性に溶けてかたちを失い(「互いの中に隠蔽される」)、三連には文字となって分解され空へのぼり、それを取り戻すすべはない。第四連はそうした光景をみつめる詩のまなざしによって締めくくられる。それはえいえんに繰り返される光景であり、それが「往来」と呼ばれている。反射と共鳴、は、ひたすら同じようなことばが繰り返されるエコチャンバーたるソーシャルメディア、インターネットの喩だろうか。

居住棟の入り組んだ
一点 犬の鳴き声
地上から引き離された
夜の図体に生まれ
宙に消え行く 小さな連続
カーテンの閉められた
空間に敷かれた電灯の一片
腰掛ける椅子は 床に落ち着く
物質の密度に形を成し
沈殿し切ったベッドの 布の丘陵
ようやく身体を起こし

立ち上がり
足を交互に押し出し
洗面台に水を組み立てて
表情の足場を作る
それは白く 隔離された
揚力の空間
水中から透明な塊を掬い上げ
両手の中に屈み込んだ顔
張力に回る皿
冷たさに
確固たる水となり
遠くの海や河へと流れ込む
鷲掴みにしながら
煌びやかな分子の連なり
大気の金槌で鍛えられた反射板

太陽 動作する街は
丹念に作り込まれた船
海原を走る 複雑な機械が
身体を揺すり
生息 小さな個室では
常にどこかしら 傾いていて
所々に浮き出た隙間
浸水
あわれな魚介類
私達は元来 一つの反発で
地球に重力があれば
立ち上がっており
見回せば
空に放り出されている
水に滑る翼は薄い

「足場」第一、二、三、四、四連

三つの力が紹介されている。揚力リフト張力テンション、そして重力グラビティ。顔を洗う語り手が自らを鼓舞するために必要とされる揚力。水が水であるために必要な(表面)張力。魚が足をえるために、重さのない(かのように思える)水から外に出るために必要とされた重力。そうした事柄が仮象の足場をつくる動きによってかたられてゆく。それは目覚め、洗顔、外出と読みとくことができるが、必ずしもそう読む必要はないかもしれない。

重さがなければ立ち上がる契機はなく、はりつめた緊張がなければかたちをえることはできず、浮きあがらしめる風がなければ空の方角をめざすことはできない、と読める。次々にかたられていく情景がつながり、都市生活者の横顔がみえる。それは本邦にいきるわたしたちそれぞれの朝だろう。

◇ ◇ ◇

本詩集でもっとも好きな詩は、「砂の生活」を挙げたい(次点は、「捕食」)。

丘陵をなしているわたしたちの生活。そこには起伏があり、断層があり、割れ目がある。それが砂丘になぞらえられている。砂浜、にはさまざまなものが埋まる。骨が埋まり、玩具が埋まり、かつて建造物であった瓦礫が埋まる。わたしたちがえられるものはひとつも「両手に留まらない」ものばかりであり、他者の死骸をかぶり生者のふりをするものたちとなって生きるほかない。

「夜は硝子のように大地に光り/朝には鳥の群れとして舞い上がり/新しい太陽に群がる」なか、またひとまわり透明になるものがかたられている。どこかに疲れを帯びた、だがそれでも祝福されるべき、ひとつの朝がそこにある。

砂浜が伸びている
見知らずの土地の雲に向かい
生活が丘陵をなしている
砂は 荒涼とした海底から
潮と共に湧き上がり
潮が引いた後も
骨のようにのこされる
気球 浮かぶ部屋から見渡すと
丹念に編まれた信号の
ぶらさがる大通り
遠くの鉄塔まで 覆い尽くし
目覚めることのない砂は
風の促すままに 横たわる

そんな光景の傍らで
食事をこしらえる
水素と酸素を 素手で握り
一日の 気管支へと流し込む
外の世界を砂の図体が走っている
やがて 石版のような鞄を持ち
細やかな上着を羽織って
動物を剝いだ靴に指を隠し
荒れ狂う歩道に出る
両手に留まらない
意固地な砂の生活がここにある
建造物も人も粒にのみこまれ
風が吹けば形を失い
雨が降れば地中に沈み
夜は硝子のように大地に光り
朝には鳥の群れとして舞い上がり
新しい太陽に群がる
またひとまわり 透明になる

「砂の生活」第一、二連

(2018年10月25日)

佐峰存『対岸へと』書籍情報
対岸へと
出版 思潮社
発行 2015
著者 佐峰存(さみね ぞん)
価格 2400円+税
新刊 e-hon / 古本 Amazon

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。